台風がありえない曲がり方をして、日本列島に襲い掛かりそうですね(>_<)
あまりにもの進路変更にわらけてきましたわ。
さて、日曜は午前中、嫁さんと三女とプチ登山してきましたよ。
本来なら、もうすこしボリュームのある山に登るつもりでしたが、昼までには帰らなくてはならない用事があり、近場の低山、そうですね、文殊山、もしくはミルキングコースにしようかと思ったのですが、ふと、いかなくてはと思いつつ、すっかり先延ばしになっていた、三峯城跡に登ることにしました。
南北朝時代に南朝方の有力武将の新田義貞の弟である脇屋義助が立て籠もったお城です。
新田義貞が灯明寺畷で討死したあとも、脇屋義助はこの三峯城から劣勢の南朝軍を指揮し善戦したそうです。
脇屋義助は越前撤退後も、南朝方の主力として活躍するも、最終的に今治で病死してしまいました。
今治にはお墓もあります。しまなみ海道ついでに今治ポタしたときお参りしにいきました。
歴史好きな自転車乗りの方がおられましたら、しまなみ海道渡ったついでに今治で足を延ばしてみてはいかがでしょうか。
そんな三峯城址は標高404mの山にあります。
車で行って半日で帰ってくるにはぴったりです。
三峯城址に行くには、三つの登山道があるのですが、今回はもっとも楽に登れる上戸口からにしました。
山道ですが、けっこうハードな山道で、こぶし大からこぶりなスイカくらいの石が道路に落ちていたりと、なかなかデンジャラスなので、もし行かれる方おられましたら、注意してくださいね。
山道を車で走ること、そうですね、、、10分くらいかな、急に道幅も大きくなり、車を駐車するスペースのある場所にでます。
そこは昭和初期に廃村になった三峯村の跡みたいです。
大イチョウ広場として整備されています。
これは三峯村のシンボルでもあった大イチョウです。

どうやら56豪雪のときに折れてしまい、この大イチョウはその折れた元の根っこから、また復活したもののようです。
とっても大きいです。
広場にあった子安観音堂の跡。

綺麗に整備され、ベンチもあったりするのですが、いかんせんここに来るまでのハードな山道考えたら、歴史マニアぐらいしかこないんじゃないか、そう思ってしまいます。
では登山道に。

最初は少しだけ階段です。この先には分岐が。

東大味町と、鹿俣町から上ってこれるのが分かりますね。
鹿俣町は分かりませんが、東大味町は明智神社のある場所です。
明智神社からさらに道路沿いに登っていけば、おそらく登り口がみつかるはず。看板でしかみたことないので要確認ですが(^_^;)

左、朝倉城とは一乗谷城のことでしょうか。

この草むらを進めば、きっと道があるのでしょうね、、、そんな勇気はありません(>_<)

しばらく進むと、、、

土橋!!

テンションあがります(笑)
さらに進みます。
大手口でしょうか。

堀切や土塁跡もありました。
竪堀のなかを進みます。
もう主郭はすぐそこです。

着きました♪

主郭からの眺め。
画像真ん中から右手の谷が一乗谷です。左手には福井平野が広がっています。眺めは抜群ですね。
そうですね、、、登り口からここまで、30分もかからなかったかも(^_^;)
もう少し時間かかるかと思ったのですが。
東大味町から登ろうと思って、調べてみたところ、けっこう草ぼうぼうだったみたいな記事を見つけたので、今回はオーソドックスな上戸口から登ったのですが、ちょっと楽すぎました(^_^;)
まあ、嫁さんはちょうどいいみたいでしたが(笑)
とりあえずコーヒーでも。

立派な石碑です。2.5tあるらしく、どうやって持ってきたのでしょうか、ヘリかな?
南朝方のお城ということもあって、しっかり整備されているのでしょうね。杣山城跡にいたってはトイレまでありましたからね。
み~つけた♪

三等三角点?

404.5m三峯城址制覇ですv( ̄Д ̄)v イエイ
登山というかトレッキングというか、なんにせよちょっと物足りないので、今きた道とはまた別から登ってくる道のほうに、滝があるらしいので、そこまで見に行くことにしました。

20分位かな下りたのですが、それらしい看板もなにもなく。
林道に出てしまいました。

ここが鹿俣町からの登り口なのかな?
結局、来た道を登って戻りました(>_<)
行きにはまったく気が付きませんでした。
追分地蔵。


分かりにくいですが、この先に道があって、どうやらそれが東大味町に続くルートのようです。
最初の看板のすぐ近くにあったのですが、朝倉城の石碑のさす道しか分かりませんでした(>_<)
追分地蔵とは、道の分岐にあるお地蔵さんの事みたいですね。

看板が折れて倒れていたため分からなかったです。
到着。
およそ2時間弱のお散歩でしたね。
ちなみに道路と三峯村があった場所はこんな感じになります。

土手の下に村があったのだと思います。私の写真のとり方が悪かったので分かりにくいですが、もっと広いです。
ちょっと走ると、たくさんの石塔がありました。

村の方のお墓?でしょうか、たしかにこの場所に人が住んでいた、それは分かりますね。
三峯村は古来より、坂の南と北を結ぶ交通の要所でもあり、藩政のころ、松平藩主の領内巡視で237人という一行がここで休憩したこともあると看板に書いてありました。
個人的にとても楽しい歴山巡りとなりました^^
この位のボリュームの低山は嫁さん的にも登れるということなので、機会があったらまた付き合ってもらおうかと思います。腰も痛いみたいなので、無理せず行きましょう、私も膝がなんともだし(^_^;)
ではまたです^^/
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三峯城の歴史を勉強する事ができました。
家族でプチ登山ができる環境が羨ましいです。
歩きは健康維持に欠かせないし、負荷のある登山なら体力もアップするし、とっても良い休日の楽しみ方だと思いました。
そしてなにより家族の絆が深まって、良い思い出になったと思います。
腰や膝の痛みは辛いですから、無理は禁物ですね。
お互い秋を楽しみましょう。