日月火と仕事でしたが、すっかり暖かくなって、、いやむしろ暑いくらいで、、
その勢いがギリギリ休みだった昨日まで残ってくれました。
ここを逃すまじとBROMPTONを車載して、高岡市に行ってまいりましたよ。
この高岡ポタリングは北陸新幹線開通するまでに行いたい、そう思っていたのですが、天候や休日のからみでなかなか行けず、まあ温めていた案件でもありました。
ではそんな高岡ポタリングのはじまり。
道の駅 万葉の里高岡から。

とりあえず国道沿いを高岡市街に走り出しましたが、しばらくして瑞龍寺(4km)の青看板が目に入ったので右折。
青看板で案内されているならば、そのさきでも同じように案内板が見つかるだろうということで、方角とサイコンの距離数だけ見ながらのんびりと。
北陸新幹線の新駅である「新高岡駅」がみえ、さらに通り過ぎるとそれっぽい通りに。

「瑞龍寺」到着です。
受付で拝観料を収めると、職員の方が、ちょうど今その団体さんを住職が案内するのでついていってくださいと言われ、ご一緒させてもらいました。
幸先がいいですね~、個人で拝観した場合に住職による案内はきっとないだろうとは思いますので(´∀`*)ウフフ

こちらは山門。
ここが前田家の菩提寺なんだな~とはなんとなしに分かってはいたのですが、じつは前田家にはさして興味もなく、、高岡に来た目的は金屋町とお城のスタンプ、なので瑞龍寺は申し訳ないのですがついでに立ち寄ろう、そのくらいのつもりではありました。
が、しか~し!!そこは国宝「瑞龍寺」
総門をくぐって山門に向かうまでに、その立ち振る舞いと言いますかスケールが、私の予想をはるかに超えていて一気に惹きこまれました。
また住職の軽妙なトークも素晴らしい♪
仏殿。

芝生に色塗ってました。薬液かもしれないけれど、なんかびっくりしました(^_^;)
仏殿の瓦屋根ははじめ素焼きの一般的な瓦だったらしいのですが、寒い北陸の冬には凍って割れてしまうという事があったらしく、その後は鉛の瓦に葺き替えられたそうです。
真偽のほどはわかりませんが、いざというときに鉛は溶かして鉄砲の弾にするためだという説もあるそうです。
前田家は外様最大の石高を誇る大名です。
当然、徳川家は難癖つけて改易したいところ。
前田家としては次の藩主である利常に徳川家から嫁をもらったり、本田正信の弟を家臣として迎えたりと、徳川からの圧迫をなんとかかわしていくわけです。
ですが徳川から来た者たちは、ある意味隠密のようなもの、前田家取つぶしの機会をうかがっています。
しかし徳川から来た者たちは、当然本城の金沢に住むわけですよね。なので前田家としては金沢は文化の中心として栄えさせ徳川の目を欺き、高岡を徳川からの隠れ蓑とし、政治軍備などは高岡と秘かに考えていたのではないか、、、
等々。
ところどころ一人二役三役と声色を変えて話す住職の話はとっても面白かったです^^
ウィキにも掲載されていたので大丈夫だとは思うのですが、もし不適切なら削除します。
法堂の仏間。

中央の位牌は前田利長のものです。おそらく位牌として国内最大だとか。
普通は中央に本尊をおき、その横などに位牌をおくものですが、何故か中央に利長の位牌が。
これは秘かに利長を神として祀っているのではとのことでした。
画像をよく見てもらうと解るのですが、柱と欄間が鳥居に見えます。
表だって利長を神として宗教の対象として祀るのは、東照大権現(家康ね)の徳川家にはばかられるので、微妙にわからない様に。
前田家の家紋は梅鉢紋。
これは菅原道真の家紋です。
前田家は菅原家の末裔を名乗っています。源氏でも平氏でもなく菅原氏、これは前田家が武家として表に出て行く意思がないことを暗に示しているということ、それともう一つは怨霊信仰としての意味。
菅原道真は大宰府に左遷されそこで生涯をおえるわけですが、その後、都に天災があいつぎ、その原因が道真公の怨霊だとして、その霊を慰めるために死後神として祀った、北野天満宮ですね。
この話は有名ですが、利長、前田家も徳川にたいし、もし前田家に不利益がをあびせるのなら死後怨霊となる、その心意気を示したのかもしれません等々、ここでも住職のトークが炸裂してとっても惹きこまれました。
ここで団体さんが解散となり、あとはゆっくり散策しました。

台所でっかかったです。

石廟。

信長信忠の分骨を向かえて、その霊を慰めたとのこと。なかには宝篋印塔がまつられてます。
一番手前の大きいものは利長のもので、その左隣の次に大きいものが利家のもの。
そこは信長が一番大きいわけではなかったですね(^_^;)
すぐ横、垣根の向こうに線路があってびっくりでした(゚д゚)!

瑞龍寺の予想以上のスケールと住職の軽妙トークに引き込まれ、思いのほか時間がたってしまいました。
時計はすでに11時半。
本当は昼過ぎには高岡出発、伏木港経由して海岸線を走って海王丸みてから富山市突入、時間があれば自走して高岡、なければ輪行で思っていたのですが、、、
まきまき~で(笑)
瑞龍寺から八丁道で利長公墓所。

武将のお墓の大きさ日本一だそうです。
画像ではその大きさがわかりませんね、手前のBROMPTONとの対比でなおさら(>_<)
写真の撮り方失敗ですね(^_^;)
もうお昼時です。
高岡市民病院のまえにある「吉宗」というカレーうどんが食べたかったのですが、またの機会にしよう。
高岡古城公園でランチにしますか、と思っていたところにパン屋さんが目の前に飛び込んできたのでランチパンゲット!!

高岡大仏を見学してから古城公園に向かいました。

中に入れて、ちょうど後ろがわに大きな大仏さんの顔だけがあって、なかなかの迫力、これはうちの三女がみたら泣くな、そう思いました(笑)
長くなったので「その2」に続きます。
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