では、西教寺からの続きを書いていきますね。
西教寺は頑張って坂を登ったところにあったので、帰りは楽です^^
下り坂を坂本城跡をめがけ一気に駆け下ります。
途中で不思議な場所発見!

なんだろう、この石垣は、、、もしや穴太積みか!?
坂本に穴太という地域があることは、以前から知っていました。なのでこの辺をポタリングすれば穴太衆に関わるなにかが見つかるかなとは思っていましたが、あっさり穴太積みに出会うとは♪
穴太衆とは戦国期に活躍した石工集団の事です。
さらに適当に進むと、大きな通りにぶつかりました。どうやら日吉大社に向かうメインの参道のようです。観光案内所を見つけたので、坂本のマップを貰いに行きました。
ドラクエっぽく言えば
パパパパッパッパパア~ン♫地図を見つけた^^v
そんな感じですね。予備知識は少なめで、あとは現地で情報収集というのもポタリングぽくっていいじゃないですか。
マップによれば坂本の町は、重要伝統的建造物保存区地区に門前町として指定されていたのですね、しかもたくさんの寺社仏閣があり、穴太積みもいろんな場所で見れます。ここまで大きいとは知らんかったっす(-_-;)
それで観光案内所のおじさんに、今日は明智光秀に縁の場所をめぐっているんですと伝えると、食いつきが良くって色々と教えてくれましたよ。
盛安寺。ここは明智の陣太鼓があるが、今は見れないということ、あと来迎寺、ここにも坂本城の門が移築してあること、それと明智左馬助の湖水渡りの地が、におの浜の辺りにあるということです。後で膳所城も行くつもりというと、におの浜は大体そのへんにあると教えてくれました。
私のBROMPTOMにも興味をもってくれたので、折り畳んで見せてブロの素晴らしさをアピールしときました^^
盛安寺。

言われたとおり、見学などは受け付けている感じはなかったので、写真だけ。
盛安寺から琵琶湖の方に行けば坂本城跡見つかるわと言われたので、そのとおり琵琶湖の方に向かうと、難なく見つけることができました^^
坂本城跡。おじさんもここに明智光秀の像があるから、ここで写真撮ってきなさいと言っていました(^^ゞ

これは当時の石垣なのか!?

坂本城は琵琶湖が渇水状態になると、石垣が湖面から姿を見せるそうですよ♫
少し離れた場所にも坂本城跡の石碑。

来迎寺を探します。
一応、おじさんに場所は聞いています。この案内所の前の道を下に(琵琶湖の方)真っ直ぐ走って国道161まで出たら、左に曲がって一つ目の交差点の角だと。言われたとおり、もと案内所前の道に、そして一つ目の交差点と、、、
まったく見当たりません><
反対側の交差点と、何回も往復したのですが、全く見つからず、おじさんが言っていた国道161はもとの国道で、私はバイパスとなっている方の国道と勘違いしていました。気づくまで30分ほどウロウロおんなじ道を行ったり来たり迷い子になっていました(´;ω;`)
やっと見つけた来迎寺。正式には聖聚来迎寺と言うみたいです。

中には、鬼武蔵の異名を持つ森長可や信長の小姓として有名な森蘭丸の父、森可成のお墓もありました。

ここまでで、結構な時間を坂本で過ごしました。
このまま坂本の街をじっくり探検しても良かったのですが、湖水渡りの地も見ておきたかったし、源義仲、巴御前、そして松尾芭蕉が眠る義仲寺も行きたかったので、大津に向かうことにしました。
ナブユー35始動!!もう、ほとんど何も考えず、素直に161を走って大津に(~_~;)
見つけました、義仲寺。

義仲と巴御前のお墓。

芭蕉のお墓。

境内の池にはたくさんの亀がいましたよ♪
義仲寺についてはウィキ等ご参照のほどm(__)m
芭蕉翁がしきりに来訪し宿舎としたそうです。「骸は木曽塚に送るべし」との遺言で遺骸は義仲寺に運ばれ墓を建てたとのことです。
ここで、受付のおばさまに、明智左馬介の湖水渡りで有名な「におの浜」知りませんかと尋ねると、柳が崎の間違いではとのこと、そこで親切にも私が境内散策中にいろいろネットで調べてくれました。
ありがたいです゚(゚´Д`゚)゚しかし、結局はっきりしたことはわかりませんでした><
取りあえず、「におの浜」の場所聞いて向かいました。
それらしい湖岸に。きれいに整備されていて、たくさんの人たちが休日を楽しんでいました。なんか京都に住んでおられる人に愛されている鴨川べりの風景といいますか、この湖岸の公園も大津の人たちに愛されている場所なんだな~と、そのような素敵な場所でした、写真はないけど(-_-;)
でも、そこで見つけた大きな常夜灯。

湖岸をウロウロすると、少し離れた場所に見つけました、それらしい石碑!!

山崎の戦いに破れ、陸路が敵方に押さえられたのですが、この場所から馬で湖を渡って坂本城に戻ったという逸話の湖水渡りの地です。におの浜で合っていました^^v
では、この辺で福井に帰ることも考えねば(-_-;)
膳所城跡見てから、近江八幡駅まで自走。もしくは琵琶湖大橋を渡って堅田までもどるかのどちらかのコースを取ろうと、行きの電車では考えていたんですよね。
ナブユーで調べたら、大体似たような距離で30km前後。それで今の時間は15時半すぎ。
AV15kmで走っても、18時前には電車乗れるだろうということで、何故かいつにも増して強気<(`^´)>
とにかく膳所城に。
大津から湖岸を少し走ったところに。

最早、記録写真となっていました。建築物がなにか残っているのかと思っていたのですが、整備された公園でした。
さて、帰りますか。
近江八幡駅に行くことに決めました。
というのは琵琶湖大橋経由で堅田まで戻ったほうが距離も長いし、どうせなら湖岸をまったりウロウロ走りたいのに、電車の時間を気にしながらというのも何か嫌じゃないですか!?それで。
走り出してしばらくすると、なんかやっぱり疲れているな~と弱気に。。
瀬田の唐橋があるはずなんだが、とか思っていたのですが、通った橋はどうも違うみたい。遠くにそれっぽい橋が見えましたが、戻る元気がなくなって、お腹もすいてきたのでコンビニでエネルギーチャージ!!
これが逆に決めてとなって、近くの駅から輪行して帰ることにしました。
すぐ近くに瀬田駅を見つけて、駅員さんに福井まで鈍行で帰りたいのですが、電車の時間はと聞くと、最短で17時近くで待ち時間が結構あります><
それならただ待っているのも嫌なので、もう少し先の草津駅まで走ることにしました。
途中はたまたま、前にデイパック背負ってマウンテンバイクで単独走行している方がいたので、しばらくこっそり追走。引いてもらうとはこんな感じなのでしょうか、なんとなく風を前の人が受け止めているので、楽な感じがしました。
それもしばらくだけで、わたしはナブユーに従って道を折れます。
これがナイス選択^^d
ナブユー35を褒めてあげたくなりました。どうやら旧東海道を選んだようです^^
写真の関係上、自転車は進行方向の逆向きです。

草津陣屋。

見てのとおり休館日。でも日曜だしやってそうな感じでしたが。
最後の最後までまったり走ることができました。なんだかんだと今回もBROMPTONで50kmは走りました。寄り道いっぱいしましたからね~。
電車を待つ時間に色々、案内所やら義仲寺でいただいたパンフレット等読んでいると、湖水渡りの上陸地点が、柳が崎にあることが判明( ̄▽ ̄;)!!
しくじりましたよOrz、、そういうのは両方セットですからね、またいかなきゃ(´;ω;`)
これで二週連続輪行の旅となったので、今週末は輪行は控えて、地元でtikitで汗を流すことにします。
琵琶湖の周りを、こんなふうに地域地域を切り取った感じでポタリング。そして一度はビワイチ挑戦してみたいです^^/
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