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浪漫自走

タイヤのちっちゃな自転車のこと。歴史のこと。キャンプのこと。山のこと。日常のことでも。

Category: 県外の山

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2022.5.29繖山と安土城。

地元経ヶ岳で山火事がありました。。
登山者の火の不始末とかでしょうか、、、
本日現場検証があるそうです。




さて。



日曜にツギロウ兄さんの肉離れからの復帰一戦目に、軽めのお山と歴旅を兼ねて遊んできましたよ~。
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この笑顔をみんなに届けたい(爆)

ツギロウ兄さんのブログがあまりにもよくできてますのね、転載します(`・ω・´)ゞ↓↓
2022.5.29 観音寺城の戦い 繖山~安土城址(ゲンジさんと)
とまあ、今回はこれで逃げて本文はお任せで(汗)

観音正寺の「おくのいん」の磨崖仏5躰にしっかりお参りはしてきたけれど。
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観音寺城の大石垣はかっこよかったっす♪
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また再訪したい。

いや~6月から仕事が急に忙しくなって。。
夜勤なのに寝つけなかったり、かと思えば帰ってから出勤時間間近まで爆睡だったり、また寝れなかったりと体調もガタガタ。
なんか色々ざらざらすることもあったりとしんどいっす(;´д`)トホホ…

今後ブログもこんな感じでさらにゆるゆるで書いていきますね。
ログはガーミンで記録しているし問題なし。
2022.6月からはざっくり路線で攻めていきます(笑)

週末もなんだかな、、、頑張るしかないか。
ではでは。
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Category: 県外の山 > 京都トレイル

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桜と京都トレイル東山。

今更だけどMTB。
今度こそ真剣に探すか。
今季は間に合わないとしても来シーズンに向けて。
偶然縦読み。今今今、、、今すぐ買えってか(笑)



さてさて。



今回は山スキーではなくて。
OMさんと京都トレイルしてきましたよ~。
深草の部分は端折って、起点を伏見稲荷大社スタート。ここから大原まで行けたらなと。
区間として東山と北山東部になります。
行動時間は持ち時間で12時間をめどに。ちょっと苦しいかな(汗)

AM5時スタート。
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OMさん、桜色のウィンドシェル。
今ちょうど桜ジャストですからね~。このシェルは色味的に春しか着れないし~と。
女子力出してきましたな~♪

では行こう!
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ヘッデンスタートだと思ったけれど、伏見稲荷大社の鳥居のなか、電灯ついているのですね。
歩くには充分の明るさもあって、ヘッデンは必要なかったです。
ソロだとちょっと怖いきもするけど、仲間と一緒なの山スキーや沢とは違った安心感(笑)
まあビビり故お許しを(汗)

画像提供OMさんm(__)m
稲荷山山頂直下の分岐。
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もう明るいです。
京都トレイル的にピークは踏まなくていいので、ここは踏まずに公式マップの通り忠実に。

順調順調。
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先は長いし無理はしません。けれどそこそこペースは上げないとです。

道祖神。
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全部ではないけれど、トレイル道標近くにおいてある場所沢山ありましたよ。
道中お守りくださいませ。

しばらくは街中。
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道標はわかりやすく、またわかりにくいような場所には別途案内板や道しるべがあったりして助かります。
皆に愛されているトレイルなのだとよくわかる。
地元の朝倉トレイルは一体どうなっているんでしょうね、、、いやもう言うまい。
多分地元では全く盛りあがっていない朝倉トレイル。もう一回掘り下げて来よう。

このあたり道標11から。
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また山の中に。
国道1号線はくぐって。
道標27からまた街中に。

コンビニでトイレと補給しようと思ったけれど、トイレ使用禁止(>_<)
前に山仲間と京都トレイルした際に立ち寄り補給したところ。多分位置的に補給&トイレポイントになるので、トレイルされる方がみんな利用する場所になってしまい、それで使用禁止になっていたりして。
京都は日本屈指の観光の街。
探せば公衆トイレがあったりするし、まあ何とかなったりしますから先を急ぎます。

と言いながら(笑)
トレイル上必ず通る「ねじりまんぽ」
そうなるとその上の 蹴上インクラインは外せないんですよね。
なんせ今は桜ど真ん中ですからね~(´∀`*)ウフフ

画像提供OMさんm(__)m
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まさにジャストなタイミングでしたよ♪
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沢山の桜目当ての方達が撮影やお散歩に。
春ですな~。ほっこりするんやわ~(´∀`*)ウフフ

「ねじりまんぽ」は道標あるので抑えないと。

画像提供OMさんm(__)m
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ねじれてます。
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ほんと桜にいいタイミングでの京都トレイルになったし、大原までとかこだわらず、ちょっと観光も入れましょうかとなり、ここからちょっとだけルートとは外れるけれど南禅寺にもお立ち寄りです。

画像提供OMさんm(__)m
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絶景かな~(笑)

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南禅寺水路閣。
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写真上手に撮るな~。さすがカメラ女子でもあります。
今日は一眼を持ってくるべきだったと激しく後悔していましたよ(笑)

この定番ショットは押さえておかないとね^^d
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ちょうど観光トイレもあったのでお借りして。
ひとしきり南禅寺でまったりした後トレイル復帰です。


日向大神宮からは山に。大文字山を目指します。
その前に補給。さっき南禅寺でまったり観光したのではというツッコミは無で(汗)
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前来たときはここから34、35と回ったので、今回は33-2、33-3と天の岩戸のほうを回らせてもらいました。

天の岩戸。
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願いが叶うかな~。

私が以前に山仲間と京都トレイルに挑戦したのは山を初めて2年目の晩秋。
大文字山にたどり着く前に足が攣ってしまい、その後回復に時間もかかり途中リタイヤしたのですね(涙)
あの時は悔しい思いをしました。
その時と同じ大文字山に差し掛かるトレイルを今からまた歩きます。
色々思い出しましたが、なぜあの時ここで足が攣ったのだろう!?そう思えるほど今回は標高差を含めしんどさも全く感じることもなく。
勿論、あの時は深草スタートだったので距離も今回よりここに至るまでに長く歩いているし、ペースももっと早かったと思いますが。
そこ踏まえても、今は少しは強くなっているなと実感はありました。

このあたりで時間とこの後の行程を考えると、、、

比叡山までは問題ないが、その先大原までとなるとコースタイムでプラス5時間弱か。
今回のペースが劇的に遅いわけではなく、むしろ一般的なぺースで言えば十二分速い。けれどこのペースなら大原の最終バスの時間には間に合いそうにないかも。
最終の補給地点のHPコンビニに着いた時間で考えようと思いました。
エスケープポイントはその先はケーブルカー比叡山駅となります。

大文字山ピークは公式マップでは踏む必要もなく大文字山四つ辻を鹿ケ谷に下ります。時間の関係もあったけど、ここは公式マップに従い忠実に鹿ケ谷に。
この後は法然院とかの前を通って哲学の道を歩きますよ。
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哲学の道。
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桜満開よ。ここも素晴らしい桜ロードとなっていましたよ。観光客もいっぱいです。
しばしまったりしよう。
京都トレイル中とはいえ、折角の桜シーズンど真ん中の京都を少し満喫。大原は!?
まあいいじゃん(笑)
という感じに二人で話をして落ち着きました(爆)

画像提供OMさんm(__)m
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甘味処鎌倉 わらび餅ドリンクで補給を兼ねて休憩(笑)
あたらしい。めっちゃ旨かったです♪
このまま銀閣寺でもとなりそうな勢いでしたが、そこは我慢でトレイル続行です。
日本バプテスト病院脇をぬけ比叡山に向かいます。
画像提供OMさんm(__)m
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ここ以外に見つけにくかった。
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ここからは比叡山あたりまで補給もトイレもないので、下界でしっかり補給しておかないといけません。
病院のコンビニで我々は補給をさせてもらいましが、病院受付で基本的にはお断りしてますので今回だけ特別ということでご理解いただけましたm(__)m
なので病院のコンビニ(勿論トイレなども)を利用はできないものと思ってください。今回はご厚意に甘えさせてもらいありがたかったです。

尾根をグングン上るよ。
瓜生山山頂はお城あと。
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このあたりはトレイル入り組んだり崩落箇所があって別ルートになっていたりと煩雑。迷ってしまうということはなさそうだけど、地図や踏み跡はしっかり確認でしたよ。
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67番。
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この場所で我々は力いっぱい道迷いしてしまいました(汗)
本来なら画像にもある棒に三角→があったにもかかわらず見落とし。道標のプレートもチラ見でそのまま林道的な大きな通りを20分近く進んでしまった(>_<)
言い訳になりますが、たまたま道標のところでソロの方が休憩していたので、サッと通り過ぎてしまったのですよね(>_<)
(画像は戻ってきたときのものです。)
林道直進だと比叡山ドライブウェイにぶつかります。
途中の稲荷神社にあたりで道間違いに気が付いて引き返しました。
ソロの男性の方はそのまままっすぐドライブウェイのほうに言っていましたね。

この時点で13時は過ぎていたかな。
地図で確認すると、ここからケーブル比叡駅までコースタイムで95分。
ここまでが京都トレイル東山マップの範囲です。
その先で大原まで、北山東部エリアでコースタイムで295分。
ザクっと6時間半。
19時は回る計算です。
タクシーで大原から出町柳までいってもいいけど、お互い明日も仕事もあるし、東山マップ(深草コース除く)の範囲は歩いたことになるので切もいい。
むしろ早めに下山して風呂入ってご飯食べて軽く夜桜見て帰ろうとなりました。
こうなると足も速いよ(笑)

ここからは心拍160bpmくらいは追い込んで歩くことにしました。
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しんどいけど頑張れ~。
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ケーブル比叡駅到着。
14時前くらいでした。最初ケーブルカーやってないのかと思って焦ったけど、ちゃんとやっていて良かったです^^
やってなかったら比叡山ピークとって坂本下山のJRで京都に戻ろうかと思いました。

待ち時間5分ほどでちょうどケーブルカーが発車でした。
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立山以外でケーブルカー乗ったこともしかしてないかも。
私たち以外では親子連れの方がいたのみで閑散としていました。週末は混むのかもしれないですね。

ケーブル八瀬駅。
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このあたりも桜綺麗でしたよ。

叡山電鉄八瀬比叡山駅まですぐ。
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電車に乗り込み出町柳で京阪乗り換えで伏見稲荷に行くよ。
すっかり疲れてお眠のOM姐さんを盗撮(爆)
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朝も早いし、電車の揺れが心地いいのですよね~。
私もウトウトしてしまいました。

伏見稲荷駅着。
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1番の道標に戻りました。
東山トレイル1番から74番まで制覇です(∩´∀`)∩ワーイ
しっかり伏見稲荷大社には今回の山行の無事をご報告してから車に戻りましたよ。
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なんだかんだと車に戻った時間は16時ごろで、ケーブル駅で切り上げて正解。
OMさんも私も十分余力を残しての下山でした。あと一時間早く出発していたらとも思ったけれど(汗)
続きはまた今度しましょうね。

京都でお風呂と言えばいつもの仁左衛門の湯で汗を流し、晩飯はなんか来ると定番となった新福菜館でラーメンを。
画像提供OMさんm(__)m
肉増し。たんぱく質を取らねばらしい(笑)
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折角はやくに切り上げたので桜ライトアップを見てから福井に帰りました。
画像提供OMさんm(__)m
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お疲れ様でした~。

山スキーに行こうかとも考えたのですが、地元ではどこ行っていいか思いつかず、遠征も引き出しもまだまだ少ない。
京都トレイルの話は前にもいていたので、ちょうど桜のシーズンで今回はこちらにしてみましたが、天気も近々迄は良くなかったのに、見事に晴れ渡り桜も満開。
まさにジャストのタイミングで来ることができました。
桜シーズンの京都トレイルは毎年定番になりそうな予感です♪
仲間に感謝。
ありがとうございましたm(__)m
丸々一日遊びましたね~。またBROMPTONで京都の街をウロウロしたくなりましたよ。
ではまた~。


Category: 県外の山 > 古城山

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歴山歩タリング!!光秀公を忍んで 美濃篇 その2

オミクロン株ですか、、、
いい加減にしてほしいわ。



さて続き。



美濃金山城をあとに舞台は山県市に変わります。
ここ山県市には光秀生存説があることは前回に書いた通りです。
その伝説のある桔梗塚に行きますよ。

無料臨時駐車場がありました。
私たち以外にも1組ほど見学者がおられました。

産湯の井戸。
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考えちゃだめだ。感じろ。。

桔梗橋。
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すべてが桔梗の紋。光秀ブームは衰えることを知らない。

この階段の奥にあります。
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中央の五輪塔ではないほうだったかと。うる覚え。
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光秀がなぜに荒深小五郎と名を変えこの地に移り住んだのかはミツロウ兄さんの記事を参照してね。

光秀がここで生まれどういったいきさつで明智城主である明智光綱の養子になったのかなど、納得させられるような背景もうかがえます。そのエピソードが本当かどうかは問題ではなく、違うだろうけどもしかして本当だったのかもしれない、、、
そんなところに歴史浪漫を感じるのですよね。
生存説関連は、例えば義経や秀頼などもありますが、そのすべてはあくまで「伝」というだけで、無論この地の光秀ももちろん「伝」。しかしたとえ光秀本人ではなかったとしても光秀の縁者が流れ着いた可能性は大いにあるとは思われます。
事実、桔梗塚に向かうまでの階段両脇の柵石柱には寄贈者(出資者!?)として荒深姓の方が何名も書かれてありました。
その方たちにとっては紛れもなき真実であります。

この後は一尾根向こうにある光秀家臣の明智孫十郎の墓に。
そもそも恩田性だったそうで恩田家のお墓になかに明智孫十郎のお墓もあったのですが、学が無きため墓石の文字がよくわからなくて、どれが孫十郎のお墓までは判別不能。多分真ん中のものと思われます。
写真撮ったと思うのですがなかったです(>_<)
これについてもミツロウ兄さんの記事を参照してくださいね。
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ちなみにこのお地蔵さんではない。この画像に移ってない右奥に恩田家の墓所があります。
明智孫十郎はどうやらこの地の出身なのかな。
光秀が山崎の戦で破れたあと、生まれ故郷でもあり、さらに信頼する家臣でもあった孫十郎の故郷でもあったこの地に逃れてきたというのも納得させられる部分でもありますね。

では本日の山部門のメインイベント。
大桑城(古城山)に行きますよ。
当初は桔梗塚から歩いていこうかなとも思ったのですが、道中ただの林道やら県道を歩くのはなんだかと思い。前回の京都篇は山崎から京都までもできる限り京街道を歩くという名目もあったからね。
今回はやっぱし車で移動です。

大桑城に行く前に周辺のスポットだけ押さえます。

六万墓。
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道三と頼芸の戦いでの戦死者を集め弔った場所とされています。

千人塚。
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こちらも戦死者を弔うために建てられたものらしい。

むむむ。
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画像に移っている何かのほうもむしろ気になった。
戦で活躍した頼芸の式神なのか、、、という設定だったら映画やゲームになるな(笑)

四国掘り。
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大桑城の最終防衛ラインと思われます。
尾張、伊勢、越前、近江の4つの国の加勢を受けて築いたと伝えられているそうです。
ちなみに先の明智孫十郎は、道三方が築いた四国山城攻めで戦功をあげたそうですよ。
そちらの城の名も四国山城なので、そちらも4国の加勢があってできた城だったりして。四国山城跡は今は四国山香りの森公園となっているそうで、大桑城から大して離れていません。
なのでこの四国掘りは実は道三方が築いた大桑城攻めの最前線の野戦陣地跡だったら面白いなと妄想。
堀の向きが大桑城と反対だから違うか(笑)
四国掘りや四国山城の呼び名も、土岐頼芸側の戦意喪失のためあえて、道三が各国の援軍も従えて攻めてきた、こちら側はこれだけの国に支持されているといったことを示すような策略だったとか。逆もしかりね。これも妄想です(`ω´)グフフ

では大桑城に。
途中の綺麗なトイレに入ろうとすると。
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援軍!?なのか。
この老将軍。地元の歴史研究家の方のようで、名刺もいただきました。
ここではT氏とします。
怪しい福井ナンバーの車が大桑の史跡をめぐっていたのを索敵してたらしい。
まあ今でいう、、、ストーカーか(゚д゚)!
まあそれはいいのですが(笑)
きっと歴史好きな輩と思って声をかけてくれたのでしょう。
大桑城の説明および、T氏の大桑城についての見解を色々お話ししてくれました。
登山口まで道案内をしてくれましたよ。
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ここは登山口より僅かばかりはずれた場所の堀切跡(T氏談)
この堀切は地元教育委員会(たしか)では堀切として扱わず、切通し(道)という判断だそうです。T氏によればそれはありえないとのこと。
地図上では。
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赤丸の地点。
昔切通として使われているのでれば、緑→のほうにある林道との通路となるのかな。T氏によれば切通しとてわざわざこれだけのために、この尾根を切らずその上を歩いて横切るはずだとのこと。私の立っている場所の後ろは2mはないくらいの段差になっており、切通としてなら、そうならず道路が繋がるはず。切通の反対が切ったように道が無いのはおかしい。
という見解です。
地元教育委員会他ではここの堀切はスルーされており、特に案内板などはないです。
なるほど~フィールドワークって大事。楽しい。
T氏の説か正しいか、教育委員会が正しいかは別として現地現物を見ることで自ら妄想する楽しさがあります。

T氏とはここでお別れ、色々貴重なお話を聞けて面白かったです。

さあ上りますよ。

この堀切!?部あたりから尾根を直登。その後トラバースなんかも含め、基本尾根を忠実に上っていく感じで山頂を目指します。途中最初に案内のあった堀切!?以外に防御力を発揮する遺構がなく、山頂までの行程の3分の2くらいまでは何もなかった気がする。
大桑城は北面は急峻な感じで基本防御力を発揮する遺構は南面や西面に多い。
北面は岩門のあたり近くまでは何もないと仮定すると、最初の堀切!?はやっぱり切通し!?なんかなとも思う。

伝「岩門」のあたりのいい画像がなかったので残念なのですが、この岩門が一乗谷の巨石を模していると思われ、、大桑城は一乗谷の影響を受けて作られた山城だと言われている根拠の一つなんだとか。なるほど~。

伝岩門を越えたあたりから、堀切や廓なんかがバンバン現れます。直近の調査では天守直下の廓の台所と言われている場所から庭園の跡が見つかったそうです。池の跡もあったらしい。
凡庸(と言われている、あくまで私のイメージ)の土岐頼芸が道三に政務を任せ、ここ大桑を贅沢な別荘や隠居場とし日々のほほんと贅沢の限りを尽くしていたのかもしれない。
それも道三の策略とも気が付かず、、、
という妄想(`ω´)グフフ

ここで。
大桑城はもっと簡単に東側からも上れますが、一応山登りをする身として、健脚コースから上っています。城というより古城山山行という建前がありますんで<(`^´)>
でも遺構をあまなく見ようと思ったら健脚コースからがおすすめですよ。

到着v( ̄Д ̄)v イエイ
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二上~文殊山くらいのボリュームはありますよ。
それの少し急登版かなってところ。

殿ぉぉお~~。。
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っていつものノリで(爆)

ミニチュア天守もあるんですよ。
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クライミングの成果を発揮して城攻め一番乗り(笑)
この天守は昔あった大河「国盗り物語」の時にヘリで運んだものらしい。T氏が教えてくれました。

頼芸が逃げたときに、土岐氏家宝の金鶏を隠した井戸も見たしあとは下山するのみ。
時間が押して16時ごろだったこともあり、念のため暗くなってもより安全なように、来た道ではなく、反対のゆるゆる林道周回にて車まで戻ることにしましたよ。
林道なら暗くなってもあまり怖くないしね^^d

が(-_-;)

林道口もどり。
あとは林道をひたすら歩いて駐車場に戻るつもりが、まさかの、、、
ここどこ何!?

全く逆方向に歩いてしまっており、駐車場とは真反対の尾根向こうの県道にてしまった(;´д`)トホホ…

真っ暗よすでに。
暗い林道をまた上って戻るより(さっき暗くなっても林道なら怖くないって言ったじゃんていう突込みは受付不可で)安全な生活道路を歩きましょうよとなりました。
都合12km程のロードが追加されます(涙)

ま、これもありよね。
ゆるゆる歴旅だったので、少し心拍を上げろという天命と常に前しか向かないでおくわ(爆)
暗くても兄さんと一緒だし、楽しいウォーキング一部ランもあり。
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いい運動になりました。

〆は山県さくらちゃんと一緒に。
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真っ暗な道路で知らない人が見ると怪しい不審者にしか見えないよ、ミツロウ兄さん(汗)

きゃは♪
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まあ。
こんな感じです(笑)
今回もまさかの激しい撤退戦。しかも夜戦を乗り越えた自称明智の残党2名はなんとか漆黒の馬(マイクロスビーね)にまたがり、越前の国に帰還するのであった。

今回も楽しい歴旅。
お付き合いただいたミツロウ兄さんには感謝です。
またツギもよろしくお願いしますm(__)m
ではまた~。


Category: 県外の山 > 古城山

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歴山歩タリング!!光秀公を忍んで 美濃篇 その1

寒さの勢いが一気に加速しましたね。
ラニーニャ爆裂。
12月はもうがっつり雪が積もっているはず!!




さてさて。



すっかりアップは遅くなりましたが、日曜に歴旅を。
お相手をしてくれるお方はもうご存じの通りで。
明智日向守ミツロウ兄さんです(∩´∀`)∩ワーイ20211122sIMG_3273.jpg
山県さくらちゃんとツーショットでご機嫌のミツロウ兄さんと、今回は美濃の国に遠征。
まずは光秀出生より青年期まで在住していた(はず)明智城跡よりスタートです。

今回は明智城跡のある可児市、明智光秀生存説のある山県市を中心に攻めますが、流石にその二つの地域をまとめて徒歩となると時間もないので、ポイントポイントは車で移動です。
まあ、、、
お散歩みたいなもんだな(汗)
なんせ車の移動が多いので、福井発は余裕の5時発です。途中の高速PAにて朝食まで取って余裕のスタートです。この時までは、、、まあその展開については後程。
今回ももれなくミツロウ兄さんから沢山の画像をお借りしておりますm(__)m

まあますば明智城跡の無料駐車場に車を停めて。
光秀産湯の井戸跡を見に行きます。駐車場から徒歩5分くらいかな。
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この目立つ大きな木。ここかと思いきや、、、
ここの案内板によれば、すぐわきを流れる川向う。今は造成してあのあたりといった説明でした。
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画像中央の畑の真ん中あたりだそうで(汗)
こっちの木の傍が良かったと思いましたよw
まあここに井戸があったとして、それが本当に産湯の井戸かは定かではない。あくまで「伝」とありました。

気を取り直し明智城に戻ります。
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テンションが上がる。
実は勝手に明智城は岐阜の垂井のほうにあると思い込んでいました。竹中半兵衛とか西美濃三人衆となんかこんがらがっていたのか!?
それともなんとなく光秀のイメージが越前や京にあるとの思い込みもあるんだろうな。岐阜でもより西側ですぐに越前や京に落ち延びられるという勝手な思い込みか。
後でわかるのですが、越前(福井ね)に行く最短距離は別に岐阜の西側、関ヶ原を抜けるルートではないのに。中山道からの北国脇往還や北国道ではないということだ。
中山道自体、時代的にないかもしれないし、まあ整備されてはいないというだけであるにはあったのだろうけど。

大手門。
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ここから桔梗坂を歩くよ。
多分当時はそんな呼び方はしてないだろうけど。

遺構は良く残っていました。詳しくはWikipediaなど参考にしてくださいね。

車止めも桔梗紋。
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麒麟が来るの際に合わせて建てられたものかな。

めちゃめちゃかっこいいい光秀像がありましたよ。
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号泣する末裔(自称笑)二人の怪しいおっさん(爆)

綺麗に整備された歴史公園といった感じでした。のんびりお弁当とか広げたい雰囲気。

搦手には十兵衛坂。
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光秀づくしです。

六親眷属幽魂塔。
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案内板によれば、明智一門の慰霊のものそうです。
この場所に僅かばかり石が見えていたそうで、逆臣とされている光秀を表立って供養することができないためこっそり隠す形にしたものと思われるとのこと。
地元福井の明智神社の「あけっつさま」と通じるものがありますね。

お城跡はこの辺して、ツギに。
明智一族のお墓のある天竜寺。お城のすぐ近くにあります。
日本一大きな明智光秀の位牌が祀られており、大きさは6尺1寸3分で約184cm。明智光秀の命日の6月13日にちなんで作られたそうで、ミツロウ兄さんに教えてもらいました。
それはぜひ見てみたい。
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歴代墓所。
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墓石の代わりかお地蔵さまや観音様的な石仏には漢数字が彫られているものもありました。
越智山なんかであるお地蔵さまの有志の方の設置石仏的なものと同じ!?
あまり考えないでおこう(汗)

日本一の位牌はと。
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まさかの拝観は終了Σ(゚д゚lll)ガーン
お隣は明智光秀愛好家の女性のかた、こんな言い方は今は良くないのかもしれませんが歴女というジャンルの方なのかな。
しかし10年以上前に来たときは位牌見ることができたと言っておられたので、ここ最近の大河からのファンではなく相当な歴史明智ファンの方だと思われます。

位牌については昨今の麒麟が来るブーム、コロナのこともあり当面は拝観中止のような文脈でした。

名残惜しいですがまだまだ今日はいくところがあるので急ぎますよ。
明智城さらばじゃ~。

ツギは。いやその前に。
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近くにある林酒造にてお買い物。

兄さんご満悦(爆)
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光秀を冠した地酒があるんだって。
エア呑みだけにして、おうち帰ってからじっくり堪能してくださいね(笑)

可児才蔵ゆかりのお寺も近くにあるらしい。
可児市なので可児才蔵と関係あるのかななんて呟いたら、ミツロウ兄さんが近くにあるよと。
えっ!?なんでそんなマイナーな武将知っているのと思ったら、なんと可児才蔵は光秀の家臣の時代もあったらしい。全く知りませんでした。
ではいくよ~。

願興寺。
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なんと可児才蔵は越前朝倉氏ゆかりの武将だったらしい。
越前で朝倉義景が滅ぼされた際、逃げ出した側室が願興寺にたどり着き後に才蔵を産んだとされているそうです。義景の子ってこと!?光秀は朝倉氏に客分として仕えていたことになっているし、年代時代的に気持ちずれがあるような気がるのですが、あまり深くは考えないところが歴史浪漫です。

願興寺は工事中でお寺そのものはちょっとこの時は入れませんでした。どこかからかはか入れるとは思いますが。
偶然にも御嵩宿(中山道)にあります。
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街道巡りも随時進めていかないとね(汗)

ツギ急ぎます。
少し離れてお次はここ。
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続日本百名城の美濃金山城。
ここは森乱丸で有名な森一族のお城。
ちなみ信長のお気にの小姓として有名な森乱丸の「乱」が一般的に「蘭」と花の名になっているのは、秀吉が信長を貶める、要は男色関係にある変態チックな(当時は男色当たり前で男に興味のない秀吉のほうがマイノリティでしたが)イメージを付けるためなんて説もあります。

森一族は織田信長に仕え、一族全員が献身的に信長を支え続けた忠臣ぞろい。
乱丸の父の可成は言うに及ばず、確かうる覚えなのですが、その正室か母も織田家に対して何か有益な働きをしたような気がする。そのソースが見つからないけど(汗)
そんな森一族の乱丸。信長お気に入りの小姓は光秀に対してつらく当たるようなイメージが現在あると思います。
それは可成最後の地、宇佐山。いまの坂本にあるのですが、ここを領地として所望した乱丸ですが、光秀の領地であったため貰えなかったということも遠因としてあるのかないのか。
また明智城より美濃金山も直線距離で10km20kmほど(適当)くらい?ほんとそんなに遠くない。
地勢的に何らかのかかわり(敵対とか友好的とか)があってもおかしくないよな。
妄想が膨らむのも歴史浪漫なのです。

本丸跡。
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正直ここに来るまで、お城の規模としては明智城くらいかなと思っていたのですが、そんなことはなく相当にでかい。織田家につかえる前からその後ずっと、幾度となく改修増築されていったのであろうその規模は明智城の数倍はあると思われます。

石垣の角石とかしっかり組まれたもの残っておりでかかったです。

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ちゃんと当時の上物の基礎石もしっかりあります。
桝形虎口とかもばっちり。
二の丸、三の丸と大きな廓もあり、じっくり見て回るとかなり時間がかかります。

方角的に岐阜城は中央あたりかな。さすがに目視で天守閣は見えない。
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覚えたてのムーブを駆使して(笑)
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このくらいのガバがあれば流石のワイでも上れる。でもこれが10mとかになるとロープないとビビってへたれるんよね(涙)

こちらは乱丸産湯の井戸。たぶん「伝」ってやつ。
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紅葉がホントキレイでした。
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桜の名所でもあるようです。千本桜凄そうでしたよ。
しっかり整備され、私たち以外にも何名かの方が見学に来られていました。
流石国指定のお城跡ですね。

光秀と乱丸とのエピソードはほんとかどうかは全くもって不明で、なんとなく光秀のキンカン頭(どんな頭や)を乱丸が信長に言われてセンスでぺしぺし叩いたりとか、欄干から足蹴にしたりとか。そんな話を見聞きしたりするけど、流石にそんな露骨にたたいたり蹴ったりはしないと思ってます。
でも信長からの冷たい言葉を、小姓という立場から自然に上から目線で光秀に伝えたりはしたのかもしれませんね。
光秀的には支社長位の立場なのに、たかが社長秘書に偉そうに言われて腹の虫がおさまらんって感じはしたかも。

まあすべて妄想。

ともあれ、美濃金山城は本当にお勧めしたい良き城跡でした。

ではいよいよ次は可児市から舞台を移して山県市にいきます。
続きはまた。
ではでは。


Category: 県外の山 > イブネ

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イブネクラシアンど街道を行く。

昨日は頑張ったよ、、、
なので今日はもう自己メンテというゆるゆるな一日にします(`・ω・´)ゞ



さてと。



週末ですが、イブネクラシに行ってきましたよ。
SNSの投稿にちょうど紅葉もいい感じで鈴鹿のお山がアップされており、またイブネの苔も見てみたく。
ですが、本命はまた別にあったりします。

当初予定では武平峠よりスタート、御在所岳~イブネクラシ~杉峠~雨乞岳みたいな感じの周回のつもりでしたが、勘違いに気が付いて修正。
滋賀県側の甲津畑より千種越えルートで杉峠に。そこからイブネクラシ。雨乞と登ってピストンで戻るルートにしました。

林道最終地点あたりに車を停めて。6時34分スタート。
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最初は林道を延々歩きます。

紅葉もギリ間に合ったかな。
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地味に上る程度な林道歩きなので、楽ちんではありますが、やはり単調さは隠せない。
が、
この林道。
いやこれが間違いなく当時の街道を符号しているか。
私にはそこまではわからないのですが、大体は似たようなあたりを歩いてはいるはず。
千種越え。
八風街道と並ぶ近江(滋賀県)と伊勢(三重県)を結ぶ古の街道。
信長は朝倉攻めのため、まず金ヶ崎を電撃戦で落としたものの、浅井長政より後方から攻められ挟み撃ち。
有名な「金ヶ崎の退き口」と言われた撤退戦を行い、朽木谷を通り千種越えにて本拠である尾張(愛知県)に戻ります。
その時杉谷善住坊に鉄砲で狙撃されますが、その弾は当たらず無事に逃げ切りました。
その杉谷善住坊の狙撃地がここ千種街道に残っているのですよね。
いつか見てみたいな思っていたのですが、ようやくタイミングが会いました。
ただわたくしめ、狙撃地は杉峠だとずっと思っていましたよ(汗)
千種街道がばっちり残っているとは考えてなかったです。まだまだ勉強不足(>_<)

そんな古の千種越えをしながらイブネクラシを目指しというなんとも贅沢な今回の山行です。

杉谷善住坊の狙撃地なんですが。
甲津畑より歩き出して、それほど時間もかからずにありましたよ。
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当時の街道はこの川を挟んだ対岸を通っていたようで、この大岩の陰から狙撃したようです。
火縄銃の有効射程距離は200m程だそうで、火薬の量を増やすなどした雑賀や根来などのなんか技的なものを持っている場合でも500m位みたい。
命中精度も50m程ならかなり高かったらしいです。
杉谷善住坊は鉄砲の名手だったらしく、ここで距離20~30m位の距離の信長を狙撃したにもかかわらず、その弾は外れるという。
信長の強運が際立ったエピソードでもあります。

執念深い信長は逃げた杉谷善住坊を3年かかって見つけ出し、地中に首だけ出して埋めて竹製の鋸で首を引いたらしいです。
ひどい、、、
まあ、浅井父子や朝倉義景の髑髏で酒を飲ませたくらいのお方ですからね。そのくらいしても何ら不思議ではない。

歩き出してかなり序盤に見つかったので、拍子抜け感もないとは言えませんが、一度は訪れたいと思っていた狙撃地を見ることができて良かったです^^d

桜地蔵。
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休憩ポイント!?なのかは不明ですが、扉の開きっぱなしのトイレはありました。中を見に行く勇気がない。
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このあたりを過ぎると、林道感はなくなり、登山道(当時の街道と完全に合致かは不明)になります。

古屋敷跡。
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SNSの投稿等で見た紅葉はこの時より1週間ほど前だったのでギリかもう遅いか。危惧してはいましたが、ちょうどこのあたり標高7~800m位のところはまだ良かったです。
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もう終盤かな。

蓮如上人旧跡。
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吉崎御坊の蓮如もここを歩いているのですね。
地元福井では有名な蓮如上人の足跡をここでも見つけることができてうれしい♪
これが当時のものと全く同じかと言えば何とも言い難いけど、こんな感じで炭焼き小屋があったのかも。
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この炭焼き小屋の後ろに一応トイレはありましたよ。ただ周りをトタンで囲っただけのトイレブース的な感じで、そのまま撃ちっぱなしでいたので、ワイはスルーすることにしました(汗)

蓮如も親鸞もよく逃避行しますね。
宗教弾圧は根深い。
決して絶やしてはいけない「火」を守り通す姿は尊敬に値します。
宗教のことはよくわからないから別として。

ものすごく立派な木。かっこいいです。
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楓か紅葉か何なのかは私には判別不能(>_<)

ロードオブザリング感が出ている森。
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ちょっと不気味。

レスキューポイントもあります。
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一反ぼうそう。
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そろそろ峠なのかな!?
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正解v( ̄Д ̄)v イエイ
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1時間40分ほどで到達。
思ったより時間はかからなかったです。
ここまで3時間弱がコースタイムみたいなので、だいぶ削れた。このペースなら午前中である程度方が付きそう。帰りに寄り道したところもあるので頑張るよ。

まずはイブネクラシに向かいます。

急登もなくいい感じ。しかも天気も良し♪
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おお~苔が増えてきたよ(´∀`*)ウフフ
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ついた。
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イブネまでヤマプラでは80分となっていましたが、30分ほどでした。
ここはテン泊適地なのでしょうか、何パーティーもテント泊されてましたね。たしかにロケーションは申し分ない。テントを設営したであろう場所は苔もなくいかにもテント張ってねと言わんばかりに平地になってます。

北端。
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ちゃんと紙地図とコンパスでクラシの方角を確認。
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大した距離でもないな。ではいこう。

この自撮りをするのにテイク20ちかく頑張った(汗)
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タフ6破壊なのでタフ3持ってきたのですが、歩き出して数枚でメモリいっぱい。なぜ!?
SDカードをタフ6にいれっぱという痛恨のミス(涙)
少ない画像の中から2枚ほど消去してその本体空き容量で自撮り。
イマイチ→消去→イマイチ→消去。
これの繰り返し。途中で嫌になってこの辺で辞めました。
ペースが良かったのもあって、まだ時間も早くほかの登山者の方に自撮りを見られなかったので良かった。
さすがに人に見られたらちょっと恥ずかしすぎます(汗)

クラシに向かうよ。
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実はここで軽めのハプニング。
自分がクラシと思っていた場所に道標のようなものがなく、結構周囲を探す。
地図的にあっていると思うのだが、、、
GPSここで不本意ながら軌道。地図と照らし合わせても間違いないと思うのだけど、、、
いったん戻って分岐を歩く。(銚子が口方面だと思う)いやいや絶対おかしいやろと戻る。
もう一度クラシに戻る。
やはり何もない。
スマホの電波が届いたので、ヤマレコも開いて確認するが間違いなく場所はあっている模様。
もういいやと思って帰ろうとすると、ほかの登山者の方がスマホいながら歩いてきたので、ここでクラシあってますかねと尋ねてみると前は看板あったよと言われたので、もう一度戻ってよく探すと、上のほうに見つかりました(汗)
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踏み跡ばっかり見ていたので気が付かなかった。。
もっと目線より上もみないと。ほんとまだまだだなと反省。
ソロだと想定外だと見えない敵と戦いがちなので冷静にならなければと思う事例となりました。

先ほどの自撮りと合わせて30分以上時間かかった。まあ貯金は余裕であるからいいけれど。

クラシはただの小ピークだったので、ツギはまあいっか。
では急ごう。
ツギは雨乞岳。

なんかやばいのとエンカウントしそうな雰囲気(笑)
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杉峠でおにぎりとパンを放り込み補給。
では上るよ。

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遠くからは急登に見えたけど、近くに来るとさほどでもなかったです。それでも今回一番の急登です。急登自体は思ったほど距離もなくて良かったです。

この岩、ピラミッドっぽくて良し。
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雨乞岳。
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山頂より東雨乞岳に向かうすぐの場所で、登山者がけがをした歩けないようでした。
後で杉峠より甲津畑に向かう途中、ヘリの音、またその後大きな声多分拡声器の類を通して声も聞こえたので、ヘリが登山者をピックアップしていたのだと思います。
明日は我が身と思い、気を引き締めよう。

東雨乞岳。
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こちらのピークのほうが広くてランチ休憩なんかには適していると思います。

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ツンツンのは鈴鹿の鎌が岳!?御在所かな!?
大きな地図は持ってきていないのでわからなかったです。

杉峠戻り。
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あの枯れた木が当時ここを歩いていた人々が目安にした杉なんやろか。
なんかいいな~。
歴史を感じる。

帰りは日があたって一段と紅葉が美しい。
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古道っぽい♪
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無時下山。
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6時間5分でした。
いやいや中々に歴史深い千種街道を歩けたことに素直に嬉しいです。
イブネの苔もよくって素晴らしかった。
鈴鹿の山は何か地元の山とは違い、そうだな嶺南の山に近い感じがして何か新鮮。シカが多いので下草が伸びない系なのかな。
たおやかな感じがして優しい雰囲気でした。
ツギは武平峠から周回しよう。

この後は彦根でお風呂入って「ぐっぼる」というクライミングの店によってシューズを購入。
前日にネットで調べて初心者に評判のいい靴を買おうかと思うとHCさんに相談したところ、絶対実店舗で試し履きすべしとアドバイスを受けました。
まさにその通りでよかったε-(´∀`*)ホッ
HCさんが履いているシューズ、外岩よりのシューズは私にはサイズ緩くても全く履くことができなかったです。
ショップスタッフの方も丁寧に靴選びのアドバイスをくれ、結論だけで言うと、初心者用でかつ外岩でも使えるよう固めのソールを選びました。
あとは履きなれてサイズダウンさせていき、本来のクライミングシューズのサイズと自分の足の実測サイズに合うよう慣れてから、またたらしい靴を。
そういうことに。
今買ったシューズは本来ならあと2サイズは落とさないといけないらしい(汗)
だってクライミングシューズ。。
きついんだもん(涙)
先は長いわ。

画像の9割以上はiPhoneで撮影。タフ6より上手に取れた気がするのは気のせい!?
ともあれ今回も素晴らしい歴史の山旅でした。
ではまたです。


プロフィール

ゲンジ

Author:ゲンジ
夏は好きですが暑いのは嫌い、寒いのはまだ耐えれる方ですが、寒すぎるとダメ、適温の幅が極端に少ないんです。。

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