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歴山歩タリング!!光秀公を忍んで 終の章 後編

ジャム勝が12月19日オープン予定とな。
もしかしたら人工降雪機だけではなく、ふつーに雪降っているかもしれませんよね。
ここのところ一気に寒くなりました。




さて。
続きを。カッパ黄桜カントリーしっかり補給した我々は次なる目的地。
今歴歩タで絶対に外せない場所「明智藪」に向かいます。
ですがその前に伏見をぶらりと観光しましょう。

月桂冠大倉記念館。
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辨財天長建寺。
2021sPB060105.jpg
伏見に来ると必ず立ち寄らせてもらってます。
桜の季節の伏見もものすごく綺麗です。
またBROMPTONで繰り出そうかな~っていつもそんなこと言ってはいるけど山優先です(汗)
でもこんな感じで歴史探訪していると、またミニベロでうろうろしたくなるんよね。
どこ行くか、妄想だけはしておこう。いつでも発車できるように。

伏見から脱出、この後も苦しい撤退戦が続きます。

六地蔵。
2021sPB060109.jpg
小野篁作の地蔵菩薩立像があります。立ち寄りませんでしたが、かわりに後で六道珍皇寺に偶然ですが赴くことに。

今は新小栗栖街道を歩きます。これといって案内板などはないのですが、そうであろうと思う道路を歩いているうちに見つけました。
旧小栗栖街道。
2021sPB060111.jpg
間違いない。
ここを歩いていけば念願の明智藪に行くはず。
たしかに地形的にも、山崎から坂本まで撤退するのなら、ここを通っても間違いはないと感じます。
そのまま山科川に沿った形で北に。そして大津方面に出るわけですから。
光秀も最短ルートでの撤退だったと思います。

見つけた。看板。
2021sPB060115.jpg
もう近いぞ。

着きました。
2021sPB060118.jpg
ここから10mほど先。

ここですね。光秀が討たれたとされる明智藪。
兄さんが俺の背中を見ろと言わんばりに。
自称現代の光秀、、、惟任日向守ミツロウ爆誕( ̄ー+ ̄)キラリ
2021sPB060121.jpg

わ、分かったから一緒に撮りましょう(笑)
s2021g0074_xlarge.jpg
竹槍はないので落ちてた木を持ってみました。
違う違う、ワイらは光秀公を討ちに来たんやない(>_<)
土民どもを返り討ちにきたつもりですm(__)m

まあ冗談はこのくらいにして。

明智藪。
そのことを知ってからもうずいぶん時間が過ぎました。
BROMPTONで桜のいい時期に伏見から六地蔵、明智藪、そのまま醍醐寺の桜を見て、山科で大石内蔵助ゆかりの大石神社に行こうなどと考えていた時があったのですが、いまだ実行できずに。
まさかツギロウ兄さんと、徒歩で天王山から訪れるとは思ってもみなかった。
なにか心の奥にグッとくるものがありましたよ。

看板によれば、ここで光秀は落ち武者狩りの農民ではなく、この地の土豪飯田氏の手勢に襲われたとありました。それは全く知らなかったです。
きっと明智軍が敗戦したなら、この地を通るであろうと待ち伏せされていたのかもしれませんね。

感傷に浸っている時間はない。そろそろ次に行きましょう。

ツギは胴塚です。
明智藪からそう遠くない場所にあります。勧修寺の手前くらいです。近くまで地図を見ながら来たのですが、これと言って案内板などもないため、グーグルマップで確認。すぐ近くまで来ていました。
2021sPB060124.jpg
ここに光秀の遺体が埋葬されたと伝わっています。

胴塚あるということは首塚も。
首塚については、以前に訪れたことがあるのですが、今回は光秀公の最後の軌跡をたどる旅。
山崎の戦いから敗走、明智藪で無念の死、そこからの胴塚~首塚まで余すと来なく最後まで見届ける必要があります。
なので当然ラストは首塚で〆となるのです。
まだまだ先は長い。

当初の予定ではここ胴塚付近から大岩山に向かう道を地図をみつつ現地で探し出し登頂。そのまま京都トレイルにて知恩院付近まで歩く予定でしたが、前編にも書いた通り時間的に到底無理。
ランチしてBEER呑んだからとか、そういうのは一切受け付けません(汗)
ま、ほんとそれなくても危うかったのでこのまま一般道にて首塚のある東山区まで歩きます。
それでも長いよ~(>_<)

勧修寺近辺より、名神高速脇の一般道を歩いて京都街中に向かいます。
途中にあった大岩山までの案内板。
2021sPB060126.jpg
本来ならここを下りてきていたはず!?
ここ以前の京都トレイルでも歩いているはずなのですが、全く覚えがないな(汗)

どんどん歩いて。

確かそのまま西にあるけば師団街道にぶつかるはず。しかし街道がわからず府道201奈良街道になるのかな。そこを京都に向かって。
伏見インクラインからの水路沿いを歩いてもよかったのですが、折角の京上洛(もう何が目的かわからん)だし、東福寺のお金のかからない方の橋を渡って紅葉を愛でようとも思ったのでこのまま。
しかし記憶ってあいまいやね。師団街道前に自転車で走っているのはずなのですがなんかわからんかった。水路沿いの道だったかな。

伏見稲荷大社の前を通り。
2021sPB060128.jpg
あと二時間あれば伏見稲荷大社の中を走っていたのだが無念。

東福寺はもうすぐ。
2021sPB060130.jpg
もう11月なのですが、紅葉にはまだまだ早かった模様。

ここ。お金のかからないほうの橋。臥雲橋。
2021sssPB060135.jpg

臥雲橋より通天橋を望む。
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ここの紅葉ドンピシャだとほんと素晴らしいよ。
一度いい時に行ったことあるのですが、激込みも激込みでした。立ち止まってカメラなど構えてはおれませんよ。
画像の木々のなか歩けます。

では行きます。時間もおしている(汗)

どんどん歩いてJR高架を。
2021sPB060139.jpg
撮り鉄の皆様が沢山おられる。新幹線が見えるよ。

京都タワー見えた。
2021sPB060145.jpg

適当に知恩院目指します。するとたまたま目に入ったのが六波羅蜜寺。
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このあたりがっつりBROMPTONでポタリングしてます。
有名な空也の像のポスター。
空也の唱えた南無阿弥陀仏が阿弥陀仏になったそうですが、私の口からはどうかな。
最後の吹き出しの中はご想像に。多分ですよ、、、BEER呑みたいです(笑)
BEERになあ~れ(爆)

六波羅蜜寺があるということは。
2021sPB060146.jpg
これも有名な子育て幽霊飴。
すぐ近くに六道の辻。
このあたりはあの世のとの境ということ。

なので。

六道珍皇寺。
2021sPB060148.jpg
先の六地蔵の小野篁ゆかりのお寺。
ここの井戸から小野篁はあの世と行き来していたらしい。
その井戸はいつもなら無料で見れるはずなのですが、この日は特別拝観かあって見れませんでした。残念。
京都は歩いていてほんと飽きないですな~。
楽しい(´∀`*)ウフフ

当初の目的こそ忘れてはいないものの、山トレイルを省いた分、しっかりと京さんぽを楽しむべく。
ツギは清水寺は産寧坂・二寧坂。
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2021sPB060152.jpg
激込み。
ここだけ見るとすっかりもとの日本屈指の観光地「京都」を感じさせられます。
京都観光でも人気の東山地区をおっさん二人。しかも山登りチックな恰好で。多分汗臭さ半端なくごめんなさいm(__)m
かなり場違いな感じもしましたが、折角の京さんぽを楽しみます。

これも隠れた名スポット。石辺小路。
2021sPB060154.jpg
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いつもなら、そこそこに人は歩いているのですが、やはりまだまだ本調子には戻っていない模様。
それにしてもちょっとした王道デートコースを歩いている気がするのですが、お相手はツギロウ兄さんです(爆)

平安神宮前を通って。
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知恩院。
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ゴールはすぐそこ。
時間は間に合った。

餅虎。
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明智光秀の首塚を代々守り継いできたそうです。
前にてぃーぽさんに教えてもらいここで和菓子を買いました。懐かしい。
今回ももれなく光秀饅頭ゲットです。
閉店の17時に間に合ってよかったです。

そしてすぐそばにある首塚。
ついに来た。
これで明智光秀最後の戦いから天に召されるまでがつながった。
こみ上げるものを抑えつつ。
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合掌。。

地元福井の明智神社から始まり、坂本の西教寺、坂本城跡、明智越えなど。
色々と光秀公の足跡をたどりつつ、いっぱい歩いたな。
その長い旅もついに終わった。
明智藪で溝尾庄兵衛に介錯され、遺体は胴塚に。首は首塚に。
諸説入り乱れ真実は全く持って不明ではあるものの、伝わっている最も有力な明智光秀の最後の足取りはたどれたとは思っています。

とりあえず今は。
餅虎で購入した和菓子で補給して帰りましょう。
思い出を振り返りながら。

行者橋。
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ここは外せない。クローズドノート(沢尻エリカ主演)でも有名なロケ地です。

ベンチで食べる桔梗紋の明智饅頭。
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ふつーに美味しい♪

祇園を歩きつつ駅まで帰りましょう。
巽橋。
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これで紅葉ジャストだったら、なお良しだったのですがわずかに早かったみたいです。
2021sPB060182.jpg

京都名物。
鴨川等間隔。
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京都タワー。もうすっかり暗くなりました。
2021sPB060188.jpg
京都と言えばやっぱりBGMは「くるり」が頭に浮かぶな。

京都はほんと楽しいや♪
翌日も山の予定がなければ、このまま歩いている間にいっぱいあったお店の中から一軒選んで今回の歴旅を振り返りながら一杯呑みたい。
そんな衝動を抑えるのが大変(笑)

最後はJRで山崎駅まで戻りました。

山崎の昭和湯は最高にレトロ♪
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〆の新福菜館のラーメン美味しかった♪

何もかもが最高の歴史歩タリングになりましたよ~。
途中から京さんぽ感が強かったけど内容は濃かったですv( ̄Д ̄)v イエイ

今回もツギロウ兄さんに沢山画像をお借りしましたm(__)m

明智神社から始まった光秀の歴旅はいったんここで終わりになります。
最初から最後まで、がっつりお付き合いいただいたツギロウ兄さんにはほんと感謝です。
ありがとうございましたm(__)m
ツギはスピンオフ企画ですね。
光秀の足跡をたどる旅はまた違う角度から攻めていきます。
つまり、、、
通史の物語が終わっただけ。
まだまだ続くよ。たぶん(笑)

歴山歩タリング!!光秀公を忍んで 完。
ではまたです。
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歴山歩タリング!!光秀公を忍んで 終の章 前編

ついに冬型の気圧配置になるらしい(`ω´)グフフ




さてさて。



土曜は延期に次ぐ延期になっていた明智光秀公の足跡をたどる旅。
最後のピースをはめに。
歴山歩タリング!!光秀公を忍んで 終の章を行ってきました。
今回のバディはもちろん。
2021sPB060035.jpg
兄さん、、、どんだけ光秀LOVEなんですか(爆)
ツギロウ兄さんです。

まあそんなこんなでいってみよ~。

早朝3時、ツギロウ兄さんが自宅まで迎えに来てくれほんと助かりますm(__)m
快適ロングドライブで目指すは決戦の地 山崎!!
JR山崎駅のこの場所からスタート。
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まずはと。
天下分け目の天王山の語源となった「天王山」に登ります。標高270m。
2021sPB060005.jpg

最初から激坂。
2021sPB060007.jpg
しばらくすると宝積寺。寺内から登山道(遊歩道よりですな)に変わります。

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地元の里山って感じで、早朝より山登りされておる方もいるかなと思いきや全く静かなものでした。

これが旗立松。
2021sPB060012.jpg
光秀秀吉軍の激しい攻防があったと思われる天王山。
ですが実際はそんなことはなかったらしいですね。
秀吉軍が山崎に着陣し、ここに千成ひょうたんの軍旗を掲げ一気に士気を高揚させ、その勢いのままに光秀軍を打ち破ったようです。
山城運用ドクトリンという運用法らしい。
こんなん山に陣しかれたって、抑えの軍を置くなりしてほっといてあげたらいいのに。
あっそ、山すかそうすかみたいな強メンタルの軍隊なら通用しないよね。
そんな話をツギロウ兄さんとしていました(笑)

しかし戦いにおいて軍の士気は最も大切な要素の一つでもあるし、こういった作戦は大砲などの強大な飛び道具がない当時は特に有効だったのであろうと思われます。

南西方向。
こちら側から中国大返しをした秀吉軍が西国街道をひた走ってきた。
2021sPB060029.jpg
地図を見ても、秀吉メインの進軍ルートである西国街道は、ちょうどこの場所は淀川と天王山に挟まれた隘路になっています。
先に天王山を光秀軍がとり、この隘路に差し迫った秀吉軍を各個撃破していけば、数的不利も覆されたのではなどどシンプルに考えてしまうのですけど、実際の戦いはそんな単純なものでもないのでしょうね。
wiki抜粋。
「当時の山崎には沼地が広がっていたため大軍が通過できるのは天王山と沼の間の狭い空間に限られ、明智軍がその出口に蓋をした形となっている。」
とあることから、布陣としては明智軍は悪くはなかったようです。

「攻城団」サイトより地図抜粋。
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地図でいう神子田隊(赤)のあたりにまで光秀軍が出張って鶴翼みたいな形をとって、沼地を通る秀吉軍をおりゃーってな感じで山側と沼向こう側と挟撃していけばいいのにって感じてしまうのはど素人なのかな~。

現代戦と違い、人対人の戦いなので(圧倒的な兵器の優劣が趨勢を決めるという意味ではなく)結局のところ地の利も大事であすが、勝敗を決するのは結局のところ人の数、考えたら今でいえば兵器の数になるのか。
あとはその兵器(兵士)の士気なんでしょうね。
防衛線というのは日本人気質に向いてないのかな。
日本内地での長期籠城戦というのも石山とかごくごくわずかしかないし。
勢いづいて攻めるときはいいけど、いざ守るという気持ちになると絶望感がおそう。日本は島国なので陸地を逃げるにしてもきりがあるので。なので玉砕とかいう考えに至るのか。
ちょっと話がそれましたね。

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展望台より。
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山崎の合戦が繰り広げられた場所一望。

感無量の兄さん。
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ワイも感極まって飛び乗る。
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天王山にはこのような絵巻形式の大きな陶板絵図があります。
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計六枚だったかな。

山頂に向かう前に。
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禁門の変で敗走した十七烈士のお墓も手厚く。

山頂。
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ここはもちろん。
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四百数十年の時を超え、水色桔梗の旗ではないけど、水色のウインドシェルに身を包んだ我々が天王山を明智軍に成り代わって制する。
この日の天王山も一番乗りの模様v( ̄Д ̄)v イエイ
あんぽんたーんなおじさんです(汗)

無論我々の戦いはここから始まったばかり、本日の行程は長い。。
兵は神速を尊ぶ。
あの時の秀吉軍はたしかに速かったかもしれない。
が、しか~し現代の明智軍(約二名)はさらに神速です(自画自賛)。
だって鎧とか刀とか持たないんですもの(笑)

急いでツギの戦場に。

途中の公園でトイレ休憩をさせてもらい。
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決戦の地に。
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天王山よく見える。

ツギだ~。
サントリーのビール工場から誘惑な香りが、、、
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煩悩に負けるわけにはいかない。

光秀公本陣跡。
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最初はここが本陣跡となっていたらしいのですが、新説ではまた別の場所にかわったらしい。
ツギロウ兄さんに教えてもらいました。

ここがそう。
恵解山古墳
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2021sPB060055.jpg
天王山もばっちり。
ここから勝竜寺城までの距離はたいしてない。
なら最初から勝竜寺城防衛戦でいいのではと思わず考えてしまいますが、そんなことしたら援軍の見込めない明智軍はじり貧で戦う前から壊滅か。

では勝竜寺城に行くよ。
2021sPB060060.jpg
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9時開園で時間は8時40分ごろだったので、開園まで休憩。後半戦の軍議を行う(笑)

いざ入城。
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忠興とガラシャがラブラブだったころ。

城には明智の水色桔梗と細川(忠興)の九曜紋の旗。
2021sPB060068.jpg
明智と細川がラブラブだったころということね。
細川父子が明智側に味方しなかったことが最大の敗因ですからね、そもそも。
細川藤孝・忠興も家名存続のため心を痛めであろうけど。
当時は家名存続の意識が今とは考えれないほど強かっただろうし、友情とか義理とか、そういったものでは覆せないのでしょうね。
そう考えると石田三成に味方した大谷吉継なんかには魅せれますよね。
でもそれは今の時代に似た感覚というのか、甘っちょろい感覚になってしまうのかもしれない。

場内は無料になっており、展示物や動画など見ることができました。
動画は最後まで見入ってしまった。
クオリティの高い無料博物館です。

外からも。
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ベンチも九曜紋。

お城あとにして。外郭の堀跡を見る。
2021sPB060075.jpg
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すぐ近くに神足神社。こうたりと読むそうです。
山登りする身として足をよく使うので運命的なものを勝手に感じるけど、その足(脚)とはまた関係ない模様。

ここからは一旦淀に向かいます。淀城とかそんなのではなく、京街道(西国街道ではない)を歩いて伏見まで向かうためです。
京都競馬場までは一般道。

むかし淀川との橋が架かっていたみたい。
2021sPB060082.jpg

京都競馬場横を歩き。
2021sPB060085.jpg

戊辰戦争の激戦区でもあった模様。
2021sPB060087.jpg

街道の面影はあまりなかったです(汗)
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伏見突入。
伏見スルーして一気に明智藪に向かってもよかったけど、ツギロウ兄さん以外にも京都街中あまり歩いたことないらしく、観光がてらに伏見に行きますかと変更。
先に書きますが、このあと明智藪~胴塚といって、そのあと大岩山のあたりに上りこんで京都トレイル使いつつ、知恩院のあたりまで山トレイルでしたが、時間的にこれは厳しいことが判明。(すでにお昼近く)
餅虎(和菓子屋)の閉まる時間を考えると、トレイル使うとかなり無理があるのでここからは切り替えて、京さんぽに変更です(笑)

2021sPB060090.jpg
水門の公園。
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さこさんやkoroさん、てぃーぽさんたちとのtikitの旅やほかBROMPTONでも何度が伏見には来ています。
色々と懐かしい。。
歴ポタもほんとしていないな。いつも思ってはいるけれど。

2021sPB060094.jpg

寺田屋。
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ちなみに龍馬の時代の寺田屋とは実か何の関係もない。
詳しくはお調べくださいね。

カッパ黄桜カントリー。
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懐かしい。
ここでさこさんたちとご飯食べたのよな。伏見で試飲もした。楽しかった記憶がよみがえる。。

さ、再現!?
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日本酒の試飲ではないけど、生中頂いちゃった(爆)
ちょうど午前の部終了か(笑)
この後も長くなるので後編に。
ではまた~。


プロフィール

ゲンジ

Author:ゲンジ
夏は好きですが暑いのは嫌い、寒いのはまだ耐えれる方ですが、寒すぎるとダメ、適温の幅が極端に少ないんです。。

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