駒ヶ岳ロープウェイが当面運休となりました。
ということは、冬の木曽駒の難易度が一気に上がったという事ですよね、きっと。
いまだ木曽駒ヶ岳も、中央アルプス自体も歩いたことはないので、そろそろチャレンジしたかったのですが残念。
夏までには復旧させたいというのが運行管理会社の考えだそうで、修繕工事が無事終わることを祈るばかりです。
さて4日は下市山に登ってきました。
本当は家でゴロゴロしてようかなとも思ったのですが、正月実家に帰った時、父親が下市山の登り口を教えてくれと言われたので、じゃあ一緒に登ろうかというところが発端。
午前中は所用があったので、昼前くらいより。

父親にはスパイク長靴とポールを貸してあげました。
父親のことを少し書きますね。
父親は若いころ山登りをしていました。
といってもサンデー登山とかそんなでもなく、年に数回程度、雪山無しの登山だったのだと思います。
取立山も赤兎も白山も登ったことはあります。
そんな私も保育園のときに取立山に、小2のときに父親につれられ白山に登っています。
登山自体はとっくの昔にやめてしまっているのですがこの日は久しぶりの山ですね。
ゆっくりゆっくりと。

年齢は80を過ぎていたと思っていたのですが、まだギリ70代でした(汗)
山登り自体はもうとっくの昔にやめてはいたのですが、3年ほど前までは、里山に山菜取りなんかに行く友達もいたらしく、バンビラインとか谷峠のほうとかにも出没していたらしい。
その友達も心臓がよくなくて山に行けなくなり、そのころから山に行くようなことも無くなったみたいです。
下市山と急に言い出したのは、カタクリが咲く時期に母親と来たいから。それが理由の一つ。
次に山に入るようなことも無くなってしまったし、これを機会に体力作りをしていきたいということらしい。
それはとても良い試みだと思います。
そろそろ車の免許返納を考えていただきたい年ですし、車のない生活を見据え今のうちから歩ける体力をつけることは大事。
当たり?

第一、第二休憩所と小休止とまでいかず、息を整える程度で立ち止まるだけしたが、無事に山頂までつきました。
脚や膝は大丈夫なのですが、腰はイマイチな父親。
しかし腰にも問題なく来れたようで良かったです。

1時間20分で登頂。
上りは小山新道を使用。
予想以上に時間はかかったのですが、汗をかくようなこともなくヒーヒーするようなこともなく、全くマイペースで疲れない速度の山登りができたようで良かったです。
ちなみに私の平均心拍は85ppm。最大で116ppmでした。
さすがの私も汗はほぼ、、帽子はじんわりしっとりさんで、これでも汗感じるんか~い(涙)
まあ私のことはいい。
頂上ではアカンこのお湯で温かい飲み物を。
親父の若いころの唯一の遠征が雲の平。
歳は25歳だったらしい。まだ独身時代。
それまで、取立山に2~3回程登った程度という登山歴のようでした。
当時の山登りの先輩二人と、まだ高度成長真っ只中の日本、休みは日曜しかない中、お盆に一日休みをもらって2泊3日のスケジュール。
よくよく話を聞いてみると。
立山から登ったわけではなく、立山に行く途中から登りだしたらしい。
ということは、おそらく折立から登ったのだと思います。
太郎小屋はあったと思う。
薬師沢小屋は覚えているとのこと。ここの三角ペナントは実家にあって、それを何も知らずもらって当時実家の私の部屋につけていました。なので薬師沢小屋で休憩はしているはずです。
なんせ、途中から凄い急登でもう帰ろうと泣きいれたらしい。
そんな急登を過ぎると、周りには名だたる山々に囲まれた平原が広がり、天気もものすごい晴れだったらしく気分最高で歩いたらしい。山のピークはいっこもふまず、ただただ。
二日目は槍がドーンと見える小屋に泊まったそうです。
で、下山は新穂高らしい。
初日にどこに泊まったかはわからず、雲の平に一発で行ったらしい。
それにしても、折立から雲の平経由の新穂高とは、なかなかハードなロングルート。
小屋泊装備とはいえ、当時の小屋は小屋飯なんかはきっとなく、自炊オンリーだったと思います。白山に私が小2で家族と登った時、泊まった室堂ではちゃんと米持って上がって自炊したそうです。なので。
今よりも装備も重いだろうし、多分今どきの2泊程度のテンパク装備の重さくらいは担いだのではないでしょうかね。

雨はぎりぎり降らない予報。
記憶にあいまいな部分があるのではっきりしたルートは分からないのですが、おそらく。
初日 折立~雲の平小屋。
二日目 同上小屋から双六もしくは鏡平小屋。
三日目 新穂高に下山。
こんな感じかな。
初日の行程がかなりハードですが、当時の父親の年齢から考えても気合で乗り切れんこともないでしょう。
二日目の小屋なんですが、なんせ槍がドーンと見えた?ここがよくわからん!?双六小屋から槍みえたっけかな?
となると鏡平まで行ったのかもしれません。もしかすると三俣蓮華小屋から見えた鷲羽を槍だと思ったのかもしれないし、その辺に歩いた際に見えた風景と泊まった場所がマッチしていないだけかも。
写真が一枚もないのが残念だったと言っていました。
当時はフィルムのカメラだし、現像が上手くいかなかったみたいです。
ただ快晴の雲の平をウキウキで歩いたという記憶は鮮明に残っているようです。
これが親父の最初で最後の北ア縦走。
そのあとは結婚して家庭も持ち、休みは日曜だけ。
盆正月も休みもなく働き、自分のやりたいことは後まわしになったのだろうな。
山登りを教えてくれた先輩方とも転勤などでわかれ、次第に山に行くこともなくなったみたいです。
当時の日本のサラリーマンはきっと大なり小なりそんな感じだったのかな。
比べたら私は好き放題やりたいことをしています。
家族は理解してくれているのか、いやあきれ諦めているだけだと思いますが。
どっちでもいい。ただ家族には本当に感謝しているのですよ。
下りは1時間程度。
山頂大休止込で、2時間29分の山行でした。
父親も体力的に下市山が厳しいという事もなかったようでなにより。
最初は第一・もしくは第二展望所まで登って下山でいいのではと話しました。
後最低限、スマホはかならず持っていくようにと。
年をとるにつれ使わなくなる筋力はどんどん衰えていくであろうし、筋力保持やゆるやかな低下を目的にした里山上りは良いと思います。車に乗らなくなったら、近所のスーパーくらいは歩いていって欲しい。
まあ、ケガは無いよう、無理のない範囲で月2~3回くらいは登ってほしいですね。
久しぶりに父親と長いこと話しました。
さて今日から仕事始め。
夜勤入りなので寝る前にモントレくらいはしてこようかな。
私も今年も週一登山は公約で。
年末年始で増えてしまった体重はきっちり冬の間に落とします。
ではまた。
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