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浪漫自走

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Category: 福井の山 > 城山(佐和山城跡)

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佐和山城トレッキング。

いよいよ週末雪降りますよね。
それで「雪みち情報ネットふくい」がさらに便利になったようです。
奥越の路面状況が分かるので、よく使っていました。
本当にありがたいですね。


11月最終週から勤務体制が、以前にしていたような変則勤務になりました。
多分来年2月くらいまでと短い期間ですが、しばらくは平日ハイカーできそうです^^
それで早速に平日休みの昨日(今日もだけど♪)お城攻めに行ってきましたよ。

今回攻略した城は、佐和山城です。
いや攻略というか凱旋にしよう。
私は三成派ですから(`・ω・´)ゞ

親石田派として、その本城であった佐和山城にいまだに行けてないとは、恥ずかしくて人様に顔向けできなかったのですが、実はふもとまでは来たことがあるんですよ。
一応これはその時の記事です。
佐和山城ふもとに来たことには触れてませんでした(>_<)
このときtikitオフ会で、koro156さんやティーポさん、そしてS兄さんと初めて顔合わせしたのですよね。
詳しい詳細、それと動画も撮ったのですが、そちらは今はほとんどログインもしなくなってしまった、某SNSの日記に記録してあります。
懐かしいなぁ~。

そんな思い出深き佐和山城に行こう行こうと思いつつ、なかなか機会に恵まれず。
なんかこのくだりは、鎌刃城記事でもかいた気がしますが、まあ置いておいてだな。
そんな記憶の片隅にくすぶリ続けていた佐和山城。
くしくも鎌刃城トレッキングのときに、もう記憶と妄想の中ではとどめておくことができなくなってしまったのであります。

ではいってみよう~。

なんだかんだと前日仕事遅くなり、忙しさに心までやられそうなところを、ギリギリ乗り切ったものの、朝は早起きができず。
自宅を出たのが8時すぎと通勤時間帯に重なるときでした。
年末年始と出費も重なるので、一般道で早朝から走る作戦。
しかしでおくれで作戦は頓挫したので、致し方なく高速で。
それでも到着後用意して凱旋開始は10時半を過ぎていました。

無料駐車場スタート。
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Aコース、Bコースはよくわからんかったです。

これはすぐ近くの資料館的な建物にあるミニ天守。
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清涼寺。
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島左近のらしきがあったらしいです。
中をちら見。
s20181205PC050005.jpg
とくに案内板も見受けられなかったし、すでに出遅れているので先を急ぎます。

龍潭寺。
s20181205PC050011.jpg
こちらのお寺境内を通らせてもらいます。
あくまで好意で通らせてもらう訳なので、訪れる方は節度を持って決して迷惑にならないよう気を付けてください。
佐和山自体は清涼寺の境内地となっています。

山門となりのこちら側から。
s20181205PC050006.jpg

入ってすぐに三成公慰霊象、そして銅像もありました。
s20181205PC050015.jpg
お顔の方は、石田会館内にあった復元されたものとよく似ていると思います。
その時のポタ記事はこちら。

入り口付近の案内板の地図を画像に収めます。
s20181205PC050010.jpg
となりの地形図も画像に。
これといったパンフ的なものは、なにもなく、また地図にあたるものはなにもないので、あとはノリと勢いで乗り切ります(笑)
まあ、半分は本当ですが。一応はGPSもあるので迷う事はないと思います。
私も登山初級者の入り口位にはいると自負している身として、道迷いや滑落等の危険性については、多少は耐性を持っているつもりです。

奥に進んでいきます。
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七福神像と大洞観音堂をみつつ、墓地を抜けます。
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猿に注意です。
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墓地を抜けると登山道に。
おおよそ20~30分くらいで本丸跡にいけるそうです。

ノリと勢いのくだりで大袈裟に地形図などの話をふれたのですが、佐和山城では以前に遭難事故(無事救出)もあったことがあります。
危険予知のできないものなら、別に佐和山に限らず、どんな山でも、例えば足羽山でも遭難しないとは言えないと思うし、山城に上る以上最低限の装備は必要だと思いますよ。

本題に戻って、ちょこちょこっと山道を上って切り通し。
s20181205PC050026.jpg
案内板が見えました。

とりあえず西ノ丸・本丸に向かいます。
s20181205PC050029.jpg
龍潭寺側から登って右に曲がると本丸で、まっすぐいくと鳥居本方面に抜けます。後で歩きますが、かもう坂通り往還道です。
左にも踏み跡があったのですが、こちらはまた別の山のようですね。

すぐに塩硝櫓跡。
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塩とかそういった類の食糧か、はたまた硝石なんかを貯蔵していた建物・櫓があったのかよくわかりません。

振り返って西の丸跡。
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本丸方面ではなく下に行けるようです。下りていけば多分竪堀とか見れるのかも。画像でいうと左。(本丸側からの撮影)
ですが、遮るように竹が横たわっていたのでやめときました。

では先に。まだ登りますよ。
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階段のぼって、トラバース気味の道をあるき、その先ちょこっとつづらに上って本丸。
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いや~、広い。思った以上に広かったです。
三成に過ぎたるものはと謳われた佐和山のお城。相当な規模のお城だったと想像できます。
眺めもまたいい。

彦根平野。
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彦根城もばっちりです。

ちなみに中山道方面もばっちりだったと思います。今は木々の関係上見えにくいですが。
この前行った鎌刃城方面。
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小さく反射鏡がみえました。
ズーム。
s20181205PC050083.jpg
わかります?中央ちょっと右の反射鏡。
鎌刃周回途中にあった反射鏡じゃないかと思う。ただ今回の帰りに車から眺めた感じでは、違うような気も。
自信はありません(>_<)

紅葉が素晴らしく紅い。
s20181205PC050049.jpg
石田時代に落城(開城)という悲しい結末になったわけですが、そんな時代から数百年の時を経て、今はそんなことを微塵にも感じることはありません。当時には5層の立派な天守閣があったらしいですが、どんなんだったのだろうな。

千貫井。
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今も掘り返せば水が湧き出そうな感じです。
佐和山城の貴重な水源ですね。

踏み跡のしっかりした道はあったので、探検。
石垣跡は後で行くとして、奥の方に進みます。
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太鼓丸の方にも行ってみましたが、郭跡のような場所があったほか、案内板等は何もなかったです。

戻ってさらに下ってくと。
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分岐。左は多分法華丸方面。
見ての通り、塞ぐように木々があったので、反対側を下りていきました。
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結構下ると、車の音も近づいてきて道路に出た(゚д゚)!
なんだあの正面の建物は?
登城口は一つではなかったのだなと、振り返ると。
s20181205PC050065.jpg
入山禁止とm(__)m

以前はこちらからも登れたのですが、今は廃道となってたようでした。
しかし、間違えようもないくらいしっかりとした道がつけてありましたけが、入山禁止道となってしまっているので、使用しないでください。

今回だけは堪忍を。
とりあえず戻るしかないので引き返しました。
戻って女郎谷に。
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進みましたが、行く手を遮るかのように倒木。
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女郎谷は佐和山城落城のさい、城の女方が多数身を投げたという、悲しいいわれのある谷ですが、よくわからなかったです(>_<)
案内板もとくにはありません。

もどって。
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石垣跡。
s20181205PC050075.jpg
これ以外に石垣の後と思われるものは、私には不明でした。
天守閣の隅石垣のようです。

本丸にもどります。
紅の絨毯。
s20181205PC050078.jpg
いや~良かった。すごく良かったです^^d
城跡内には、薄い踏み跡を含めいろいろ道があるので迷いやすく、暗くなってからの登頂は危険だと思います。
(以前遭難した若い二人組の女性も16時くらいから登頂したようです)
今現在、佐和山城は龍潭寺内を通るルートしかない(公式的に)ので、城の搦め手側からしかいけないのでが、真正面の大手門からのルートからも藪漕ぎすればいけないこともないらしいです。

では戻ろう。
先ほどの切り通しを鳥居本に下ってみます。
最初七曲り(よくある呼び名だな)といった急な坂を下ると、すぐになだらかな一本道に。
ss20181205PC050094.jpg
標柱。
s20181205PC050095.jpg
案内板。
s20181205PC050097.jpg
さらにどんどん進みます。

田んぼらしきものが左手にうっすら見えてきました。
案内板も発見。
s20181205PC050098.jpg
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このままいったん道路にでます。

田圃道を振り返って佐和山。
s20181205PC050103.jpg

大手門跡の遺構がないか付近をフィールドワーク。
これは石仏ではないのか?
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主張してきます。進入禁止。
s20181205PC050105.jpg
まったくわからず、この看板から左に折れて道に。

案内板を見つけたので近づくと。
s20181205PC050106.jpg

城下町の井戸跡でした。
こんな感じ。
s20181205PC050107.jpg
近くでおじいちゃんが畑仕事をしていたので、佐和山から下ってきたことを伝え、少しお話を伺いました。
大手口(正門)の辺りの場所。また今は多分何もないと思う事。バイパス建設のためか発掘調査をしているとのこと。龍潭寺が蒲郡(愛知県)かどこかにもあってそれと同じ!?関係性があるらしいという事等々。
発掘調査でいろいろわかっていいですね、というとおじいちゃんは、あんまり嬉しくないみたいでした。
静かなこの辺りが、観光客とかがもし増えたら!?そんな懸念があるのかもしれません。
歴史好きにはうれしくても、たしかにそうじゃない人には嬉しくないよな(汗)

通ってきたかもう坂通り往還をもどらなくても、道路沿いに龍潭寺にいけることを教えてもらい、周回することにしましたよ。
戻るのは嫌い、前進あるのみの精神です(*^^)v

ここ最近では異例の写真枚数で記事が長くなるは申し訳ない。
普段の登山でもこんなに写真撮らないのにな(^_^;)
一気に書きますね。

あの近江鉄道の高架下をくぐって竹林の向こう辺りが、大手口、城の正門に続くあたりらしい。
s20181205PC050110.jpg
てくてく歩くと、、、

ここは城下の本町筋らしい。
s20181205PC050111.jpg

高架下をくぐると自販機があったのでコーラを。
s20181205PC050113.jpg
佐和山に乾杯。
いつもは普通の赤コーラですが、気になったのでコカコーラプラスにしてみました。

発掘調査中。
s20181205PC050114.jpg

この辺りは京橋口になるらしい。
s20181205PC050115.jpg

おじいちゃんに教えてもらった通り、大手口付近。
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s20181205PC050118.jpg

もちろん正面突破です。
s20181205PC050121.jpg
正面の山が佐和山本城ね。
この田んぼの畔っぽい道、イノシシの足跡いっぱいあるので要注意。佐和山は今は、イノシシと猿の楽園とかしているのかもしれませんね。

近江鉄道線路にぐっと近づきます。
この辺りのどこかから登って藪漕ぎすればいけん事もないし、実際自信もありますが、いろいろなリスクもあるとは思う。
s20181205PC050122.jpg
なんせソロですからね、この辺でやめておきました。
将来的に発掘調査が進み、地権者(清凉寺さんなど)との話し合いなどもあって、もしかすれば正面側から登城もできるようになるかもしれませんね。
期待したいな~。難しいか。

車道を周回。
s20181205PC050128.jpg
佐和山トンネルは歩道もありました。
トンネル抜けると、さっきいったん下山したときに見えた怪しい建物群。
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佐和山遊園とありましたが、今は廃墟のようでした。
佐和山城跡などとは、全く関係性はないみたい。

おじいちゃんは、トンネルくぐって二本目くらいの信号を右に折れたら龍潭寺だと思うと教えてくれたのですが、ちょうどいい階段があったので、そこを下りていきました。
右手に佐和山を見つつ歩けば、龍潭寺に着くはずです。
s20181205PC050134.jpg

途中民家の屋根に猿が。
s20181205PC050133.jpg
柿をむさぼっていました。

こんなの発見。
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歩いてみないと気が付かない発見が嬉しい。
この辺りです。
s20181205PC050136.jpg
お堂付近に案内板。
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もうちょっとですね。

2010年~・・・
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時が止まっているかのようだ。

おお~♪
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この辺りです。
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そのまま歩きすぐに案内板。
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見えた。
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真正面に彦根城。
s20181205PC050146.jpg
到着。
s20181205PC050148.jpg

いや~、まじで良かった♪
城ももちろん、この周回も(´∀`*)ウフフ
最初からGPS起動させてログをとっておけば良かった(>_<)
カシミールで歩いた軌跡を落とし込もうかと思ったけど、イマイチ使い方が分からなくて、この周回でどのくらいの距離を歩いたかは不明。
写真で撮った案内板の地形図に歩いたであろう場所をざっくり線ひっぱってみました。
s20181205PC050123 - コピー
法華丸付近の登山道が自信はないけど(汗)
3時間弱佐和山周回で遊んでましたよ。
今後の発掘調査が進み、いろいろと遺構跡などが明確になっていくことを大きく期待したいです。
その時にまた来ようと思います。

今現在は彦根城のある彦根市がこの地域の中心ではあると思いますが、佐和山城の機能していた当時は、大手口のある中山道方面・鳥居本宿側が当然街の中心だったのかなと思いますがどうだったんだろう。
三成に過ぎたるものの二つ、佐和山の城と島左近と言われていますが、今回山中の案内板には、それが百間橋ともなっていました。
百間橋は今は埋め立てられてありませんが、彦根城の外堀の一部ともなっていたらしい、松原内湖にかけられていた橋だそうです。今の彦根城あたりから松原内湖を眺めつつ百間橋も渡ったかも。かもう坂通り往還を抜け鳥居本に。また逆もしかり。
たくさんの人たちも歩いていたことでしょう。
どんなんだったのだろう。
当時の風景を見てみたいな~。
そう思いませんか。素敵やわ~。

画像だらけで説明として不十分な点は申し訳ないですが、そこはご容赦ください。
念願の佐和山城凱旋ができてとても良かったです。
良い歴旅だった、、、って、このあともう一城いったのですよね。
その記事は次に。
ではまたです。

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Author:ゲンジ
夏は好きですが暑いのは嫌い、寒いのはまだ耐えれる方ですが、寒すぎるとダメ、適温の幅が極端に少ないんです。。

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