今冬からの大雪時のチェーン装着義務化(指定区間)。
う~ん、チェーン持ってないし、そもそも装着したことがないわ。
冬期遠征中に大雪になり、チェーン無しで走れない区間を通ることがないとは言えないし、さてどうしましょう。
そもそもそんな大雪の時は遠征しないか。
思い出します。
20歳のときに、友達と白馬にスキーに行った帰り、白馬~糸魚川間で渋滞にはまり、トンネルの中で、2時間動かなかったことを。
あの時の原因も大型トラックが、すれ違いできずスタックして道を塞いだんですよね。
仕事だし走らざる負えないし仕方ないと言えば仕方ないのですが、今年2月の8号線ストップも大型トラックが原因なんですよね。
チェーン未装着の。
そう考えると、義務化はしょうがないのかな~。
いろいろ考えるとこがありますな。
で、本題。
日曜はツギロウさん、としパパさん、あつぷりさんとお隣滋賀県に遠征してきました。
行先は、竜宮山・八葉山を経て鎌刃城跡の周回。
こちらは、当初20km前後の周回になるかと思ったのですが、実際は12km前後とちょっと短めだったため、もう一か所、賤ヶ岳周回もすることになりましたよ。
さて鎌刃城跡は、米原インター近くにあります。
米原インター自体、北陸道と名神道のジャンクションがあるように、この辺りは、昔でいえば中山道(東山道)と北国街道の繋がる交通の要所で、湖北と湖南地方の境目にあたります。
そのような重要拠点にある鎌刃城なんですが、私が持っている古い歴史雑誌に紹介されていまして、その存在はずいぶん前から知ってはいました。
大きな大櫓があり、これが天守閣のはしりだった、、、
(読み返したらこの大櫓は天守閣のはしりではなく、天守閣を思わせるという記述でした。)そんな記憶をずっと持っていて、いつか行こうとは思っていたのですが、なんだかんだと行けずに記憶の片隅に。
それが雑誌を読んでいて、この鎌刃城跡を含めた周回ルートがあること見つけました。
おお~、これはいくしかない。
でもあんまり信じてもらえないのですが、結構な人見知りかつ、山みしりでもあります。
山みしり、、、
あんまり知らない山って結構勇気がいるのですよね。
が、しか~し。
そんな未知の周回の話をみんなにすると、一緒に来てくれるというじゃありませんか。
持つべきものは友だな~(゚д゚)(。_。)(゚д゚)(。_。)
では行ってみよう♪
今回も皆さんの画像を多数お借りしておりますm(__)m
イツメンの皆さん。

米原インターにきっと駐車場があると思っていたのですが、これがなく、としパパさんが事前に下調べしていてくれた駐車スペースに車を停めスタートです。
明確な登山口があるとは思うのですが、その辺は不明瞭なので、みんなの記事を待ちましょう。
米原工業団地裏手林道より、すこしショートカットして登山道に入りました。

あまり人は歩いていないような登山道でしたが、それが登山道であるという事はしっかりわかります。
ガシガシ上って松尾寺跡を目指して稜線に。
御来光ではありません(汗)
分かりにくいのですが、太陽がある辺りが多分霊仙山です。

なかなか素敵な山ではないか。
この周回コースに大きく期待が出来そうです♪
登り出しは、右くるぶしの辺りに気持ちしびれ感があったのですが、稜線に出るころには、すっかりなくなりました。
血が通うといえば良いのか、朝起きたときも時々こんな感じで、そのうち気にならなくなります。
もう上りについては問題なしです。
ここからじわじわっと上ったり下ったりと松尾寺跡に向かいます。

大きな木が。
夫婦杉(たしか)

3mあると思われる(ウソ)としパパさんよりも余裕ででかい木です。
見上げるとしパパさん。
松尾寺山付近朽ち果てた看板の柱に、木がまとわりついていました。

これ、写真の撮り方が下手くそなのですが、柱を木の間に突き刺したものではなく、折れた柱の周りを縛るように木が育っているんですよ(゚д゚)!
朽ちたベンチやゴミかごもあって、この辺りにはちょっとしたハイキングと言うような感じで、上ってこられる人たちがいるようです。
とりあえず松尾寺跡に向かって少し下ります。
が、、、
GPS上では大体この辺りが松尾寺跡なのだが、これといった案内板はなく。

多分この辺りだと思う。。
GPSを確認中。。

まあいいや、ここってことにして、元の登山道に復帰します。
家帰ってからネットで見てみたら、どうやら松尾寺跡はちゃんと別にあったようです(涙)
目的は
第一が鎌刃城跡、
次が周回トレーニング(みんなは違うと思うけど)ですからね~。
稜線に復帰。
さほど高低差もなく快適なトレイルが続きます。
蔵王権現。

案内板によれば、信長の攻撃を恐れ松尾寺が寺宝を埋め蔵王権現の祠をおいたらしいです。
松尾寺山が修験道の山だったみたいですね。
紅葉も良かったりします。

西坂山。

鉄塔をくぐって。

この周回は巡視路も利用している感じです。
プラ階段の急登。

ここを上れば八葉山。
この急登が、一番苦しかったです(>_<)
八葉山。

今周回での最高地点。
特に展望もなかった気がする(あんまり印象にない)。
小休止して出発しました。
竜宮山。

八葉山から竜宮山までは、たいした上りでもなく、ここから先は下るだけになります。
展望は良いですよ~♪

長浜の街や山本山も見えます。
鎌刃城跡に着くまでに最後林道を挟むのですが、その林道に下りる登山道がよくわからず、最終的に無理やり下りました。
トレイルマップでいうと、清龍滝付近になります。
私は先にみんなとは違う場所から下りまして下で待機。
あつぷりさんが、一番おりやすいであろう場所までいって林道に。
二人でツギロウさんととしパパさんを待ちました。

分かりにくいのですが、結構な高さなんですよ。
ツギロウさんが、何とか降りてとしパパさんもあとに続きます。

2m以上の高さはあるとおもうのですが、、、

としパパさんは、ビビっているような雰囲気を出しつつも、あっさり30cmほどかなジャンプした程度でした。
教官はやっぱりでかい(笑)
無理やり林道に下りた場所はこんな感じです。

あつぷりさんが、本来登山道が続いていたはずだけど、林道作ったことで登山道が寸断された感じになっているのだろうと教えてくれました。
なるほど~。
この林道挟み、鎌刃城跡に。
看板があるのですぐにわかります。
おそらく付近にパーキングか何かあるのかもしれません。
その辺は不明です。
林道からしばらく下り、いよいよ鎌刃城跡です。
鎌刃城は、戦国期この辺りを支配していた堀氏が築いた城で、当初は六角氏にのちに浅井氏に属していたようです。
ではいってみよ~(`ω´)グフフ
切り通し。

南側から連続七つの堀切を越えての攻略になりました。
大きな堀切。

ここを超えると南Ⅱ曲輪に突入です。
上からみんなを見るとこんな感じ。

当時はあんな感じで攻めてきたのでしょうかね~。
このあと賤ヶ岳控えているので、今回は連続竪堀群のある西区画には侵入しませんでした。
南Ⅱ、南Ⅰとも大きな曲輪で、結構な建物があったのだろうと想像します。
そして主郭に。

かなり広いです。
鎌刃城がこんなに大きな規模で、かつしっかりと遺構が残っているとは思っていなかったので、びっくりでした。すごい!!
主郭から北方面に進みます。
途中の曲輪に物見やぐら。

隊長が捕虜に(笑)
物見やぐらからは、佐和山や彦根の街、琵琶湖がばっちり見えましたよ。
北の曲輪の虎口。

正面から撮っておけば良かった(>_<)
パンフレットによれば、薬医門という形式の門があったそうです。
鎌刃城は、清龍滝から水をひいていたらしいです。
当時がこんな感じだったかはどうか不明ですが、イメージとして。

北の先端の曲輪に大櫓跡が。
この場所の物見台から曲輪を見るとこんな感じ。

7間×7間の半地下の大櫓があったらしいです。
この大櫓のくだりが記憶にずっとあって、いつか見てみたいと思っていたんですよね~♪
今手元の雑誌を読み返すと、最初に侵入した南Ⅱの曲輪にも、大櫓があったらしい、、、
ここに来る前にちゃんと読み返しておけば良かった(-_-;)
で、この大櫓はなの役割かっていうと、物見用ではなく、強化火点だったらしいです。
狭小な尾根にある鎌刃城ですから、攻城側が兵力を大きく展開できない反面、防御側も最前線の兵力しか戦えない。
なので出来るだけ多数の兵力を展開しようと、横に面積をとった曲輪にすると、先端部の曲輪が孤立しやすい。
これは多分攻城側も同じだけ兵力をぶつけることができるわけだし、そうなると城という決まった入れ物(内側)にいる防御兵力に対して、攻城側は大きく外側からつつみこむ事ができるからなんだろうと思います。この辺はよくわからなく推測です。誰かご教授くださいませm(__)m
ようは、そういったデメリットを減らしつつ、できるだけ正面の敵に対して大きくあたるには、横に広がらず縦に延ばすという事のようです。
鎌刃城の作られた当時は、投射武器は
鉄砲ではなく
弓だったそうで、この大櫓の役割は単位{面積」あたりの投射鉄量を重視し、戦闘正面の面積は概略40パーセント増なんだって。
それで、これだけの建物を支えるためには石垣が必要だったということらしいです。
戦国当初にはあまり普及してなかったと思われる石垣をもつ鎌刃城はそれだけ重要拠点だったのでしょうね。
そんな鎌刃城と堀氏なのですが、浅井長政を裏切って織田方についたのですが、その後突然改易されたそうです。
世間一般に広がっている織田信長像として、役に立つ時は重宝しても、いらなくなるとあっさり捨て去るといった冷酷なイメージがあると思いますが、まさにそんな感じだったのでしょう。
他に浅井長政のもと、佐和山城を任せられていた磯野員昌も、織田方に裏切ったあと、最終的に改易にされているし、信長も容赦ないやつだと思います。
大国に挟まれた小国というのは、家を存続していくために、その時々に強き方になびくしかなかったのでしょうが、裏切りはやはり悲しい結末になりますね。
諸行無常やわ~。
まったりしたい気持ちをおさえつつ、ツギもあるので撤収。
途中は端折って一気に下山。

林道歩いて番場に出ました。
歩いていて気が付いたのが、番場から車まで戻る道が、旧中山道だったということ。
番場宿というのも、全く頭になくうかつ(>_<)

紅葉のトンネルを通って駐車場に。

無性に歴ポタがしたくなりましたよ。
前半戦終了。
賤ヶ岳篇は別記事にしますね。
ではまたです。
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